初心者のための登山とキャンプ入門

ピクトンからフェリーでウェリントン。日本人から聞いたニュージーランドのワーホリ生活。

ピクトンの港

クライストチャーチからバスでピクトンへ。
そしてフェリーでウェリントン。

朝は5時半に起きた。そんなに早く起きる必要もなかったけど、寝てまた時間通りに起きると言う行為もめんどくさいので起きる事にした。

旅前の日本で早朝の仕事を続けていたら、朝起きるのが強くなった。強くなった、というより普通の人並みになったってことかもしれない。狙った時間には大抵バシッと起きれると思う。
それで今かなり眠いんだけど、眠いのは昨日の宿のメンツのせいだ。寝ようと思った10時頃から、部屋の3人の女子は就寝準備をザワザワとはじめたのだ。一人はマレーシアからの子で、もう二人はよくわからないが、パンキッシュな白人の女子である。マレーシアの子とは仲良くなったが、この子が部屋でドライヤーをかけまくってうるさかった。夜中もペットボトルをバコンと、大きな音を立てながら水を何度も飲むし、携帯で時間を確認する度に貴重品袋をバリバリバリ~と音を立てて開けるし、その都度目が覚めてしまった。僕のベッドの上なのである。

バスでピクトンに行き、ピクトンからはフェリーでウェリントンへとゆく。
ピクトン行きのバスはクライストチャーチのカテドラルスクエアのすぐそばから出発した。しかしバスに乗ったとたんに寝てしまい、気がつけばピクトンのフェリー乗り場に到着していた。ちなみにバスは「カイコウラ」、「ブレンヘイム」で人を降ろし、ピクトンへとたどり着いたようだ。寝ぼけ眼で見た車中からのカイコウラは、丸裸の山とワイン畑が延々と続いていた。羊と牛は、もう草や木と同じで僕は関心を示さなくなった。

フェリーの手続きは簡単だった。インターアイランダーのサイトでブッキングをする際、自分の携帯にリファレンスナンバーが届くようにしておく。それを見せるだけでよかった。とても簡単。あとは荷物をあずけてロビーで待つだけだ。もちろんインターネットで予約せずともチケットは手に入ると思うけど、インターネットで予約すると多少安くなった気がした。恐らくキャンセルしても返金はありませんよ、というやつだったと思う。ニュージーランドのバスや飛行機のチケットにもこのパターンが多い。

昼飯は相変わらずパンにチーズを載せたものを食べた。ナイフでチーズを切って、パンに乗せる瞬間がワイルドで気に入ってる。食パン一袋とチーズ500グラムなので簡単にはなくならない。チーズの外側の色が変わってきた。ちょっと柔らかくなってきてるし。早く冷蔵庫に入れてあげたいと思う。
ちなみに辞書で調べると、僕の購入したパンには大豆とアマニ?というものが入っているようだ。

フェリーはなかなか大きくて豪華だった。しかし乗ったそうそう寝てしまい、気がつけばウェリントンへと到着していた。どうやら疲れているようだ。最近ずっと移動していたせいだろうか、さっきのバスもそうだけどすぐ寝てしまう。しばしの休養が必要なのかもしれない。

ウェリントンへのフェリー内
ウェリントンへのフェリー内

ウェリントンのフェリーターミナルは小さなものだった。そこから2ドルでシャトルバスに乗り、レイルウェイステーションへとゆく。港から直接繁華街に行ってくれればいいんだけれど、フェリー乗り場からのバスはレイルウェイステーションまでしか行かない様だ。

レイルウェイステーションにつくと、宿のある繁華街までてくてく歩いた。歩いて10分くらいだろうか。歩けばだんだん街は賑やかになり、僕が一週間泊まる予定のNomads Backpacker Hostelに到着した。オークランドでも宿泊した宿だ。

部屋は狭い4人部屋で日本人の女性がいる。今は電話中のようでまだ話していない。色々な情報が聞き出せたらいいと思う。
それと僕のベッドは2段ベッドの上なのだけれど、下の奴が許せない。僕のベッドの上に信じられないくらいの数のカラフルな靴下が並べられている。どれだけおしゃれなんだ。帰ってきたら怒ってやろう。いや、怒れないだろうな~。

日本人からニュージーランドの暮らしについて聞く

その後、
同室には日本人が二人いると判明した。男性と女性。4人部屋に日本人が3名も集まるなんて奇跡だ。彼らがどのような経緯でここに泊まっているかを書くと長くなるのでやめるけど、二人ともワーキングホリデー経験者。女性の方は数年前にオーストラリアでワーホリをしており英語が話せるようだ。男性の方は現在ワーホリでニュージーランドに来て一年近くになるようで、今後の進退について考えているようだった。

やっとここに来て、ニュージーランドでワーホリをしている人の、生の声を聞くことができた。すごく貴重な情報で色々と質問してしまった。まずは気候だけど、やはり寒いようだ。そして日が出ている時は日差しが痛くて危険。僕が感じているのと同じだった。一年を通してこのような、すごく暑いかすごく寒いかで、夏とか冬とか、あまり変わらないようだ。ただ冬はもっと寒いとのことだった。冬の日照時間は短くなり雨の日が多いらしい(オークランドの話し)。なので寒く感じるし、洗濯物が乾きにくいとも言っていた。

差別は多少なりあるようだ。彼曰く、どうやらここでは中国人があまり好かれていないようで、彼は中国人に似ているので冷たい扱いを受けることがある、と言っていた。彼自身クライストチャーチでダンボールを投げつけられ、また彼のワーホリ仲間が差別を受けた話なんかもしれくれた。

彼のワーホリ生活は予想通り淡々としたもののようである。語学学校に通いジャパニーズレストランでバイトをし、フラットで暮らし、といった感じ。フラットはほぼ日本人なので会話は日本語。ジャパニーズレストランも使用する言葉は日本語なので、常に日本語で暮らしている状態のようだ。また彼は2つの語学学校に通ったが、英語が全く話せるようにならないと言っていた。もちろん人にもよるだろう。

僕の最大の関心ごとは、彼がニュージーランドのワーホリ生活に満足しているかということだった。そして彼曰く、どうやらニュージーランドはもうよいようだ。彼の出会ってきたワーホリ仲間の数々も、そのような意見が多数を占めているという話し。もう二度と来ないだろうと彼は言っていたし、友人たちもそのように考えているよづあ。なぜだろうか、と思う反面、納得できる部分もある。僕がそうなりそうな空気はぷんぷんとただよってくる。

一方オーストラリアでワーホリをしていた日本の女の子はどうだろうか。わかっていたことだけれど、オーストラリアでのワーホリは最高に楽しかったようだ。ワーホリ後も何度もオーストラリアを訪れたようだし、オーストラリアを長距離電車で旅した素敵な話も聞かせていただいた。

この違いは何だろうか。僕がニュージーランドへと出発した日に、ゴールドコーストで話した女性もオーストラリアを最高に楽しんでいた。滞在を延長する方法すら考えていた。なんだろうか、ただの巡りあわせだろうか。そしてもちろんオーストラリアは暑いようだ。年に長袖を着る期間が2ヶ月だけだという(場所によると思うけど)、まさに僕好み。登山靴を履いてネックウォーマーを巻いてダウンを着てプルプルしている僕は何なのだろうか。

僕の気持ちはオーストラリア行きへと傾きつつある。ゴールドコーストで暮らしていたヒッキー、メルボルンのジェームスとオーストラリア3人衆、中国娘×2、そして今日出会った日本人女性。みんなが僕をオーストラリアへと誘惑する。

さて今日はインターネットで部屋を探そう。そして今日も雨。寒い。