赤ちゃんと子供と登山。初のトレッキングシューズ① -富士見台へ-
3歳2ヶ月になる子どもに初めて登山用トレッキングシューズを履かせ、0歳6ヶ月になる赤ちゃんを初めてキッドコンフォートⅡ(背負子)に乗せて登山をしてみました。場所は恵那山付近の富士見台という標高1739mの山。準備不足で短い登山でしたが今後に向けて「これはイケル!」という手応えを感じたハイクでした。
どこでも良いから遠出しよう
海の日になって夏も本格化してくると、なにも予定がない週末がなんとなくいけないことのように思えてくる。「明日どうすんのー?」「どこか行こうかねぇ」そんな会話が繰り返されるが具体的には何も進まない。基本、ついてくるだけのスタイルをとっているキタオくんを牽制すべく 「パパが明日いいところに連れてってくれるんだってさーたのしみだねー」 とさくちゃんに言い残して寝た。
翌朝、自然と早起きする習慣のキタオくんがなにやらガサガサと本棚をあさっている音が聞こえたけどむしして寝ていた。サクちゃんやカエデちゃんが起きてしまったので私もしぶしぶ起きると、「名古屋周辺の山」という本に指を挟んだキタオくんがやってきて「富士見台に行こうと思うんだけど」 という。
「良いんじゃない?」そう答えて準備を始めた。どんな展望台なのかはわからない。遠いのか、混んでるのかもわからない。私はあえてその本も見ずに行くことにした。見てしまったらイチャモンを付けたくなるに決まっている。「暑くない?」「遠ねぇ」「高いじゃん」・・・。だから本は見ない。でもいいんだ、0歳時と3歳時と、こんな暑い名古屋でできることは限られている。とにかくアピタや遊園地じゃないどこかへお出かけをするのだ。
どうやら山へ行くらしい
「あんまり近くないんだけど、30分くらい歩くと展望のいいところがあるらしいんだ」
キタオくんはこれだけの情報を私に与えた。どうやら山を歩くらしい。それならば、と、私はかねてよりの「サクちゃんにトレッキングシューズを履かせてみたい」という欲求を試してみることにした。サクちゃんが3歳になりたてで登った四国の剱山の時にそう思ったんだ。そのトレッキングシューズというのは半年くらいまえに高校山岳部時代の先輩から譲り受けていたものだ。その先輩は自分の息子用にトレッキングシューズやらレインウェアをどんどんと買い揃えていて、サイズアウトすると自動的に送ってくれる。すでに次のサイズのトレッキングシューズも頂いており、不思議なものでグッズが揃っているとついつい使いたくなってしまう。逆に「靴がない」「レインウェアがない」などたった一つ道具がないだけで急におっくうになったりもする。特に子どもはすぐに使えなくなるから安い洋服ですら、なるべく買いたくないと私なんかは思ってしまう。 そんな中、決して安くない登山用品がすでに揃っていて買い時を悩まなくて済むっていうのは本当にありがたいことだ。子供専用のアウトドアグッズのリサイクルショップか安いレンタルショップがあればいいのにね。
あとは最近入手したレキのトレッキングポールも試してみよう。
毎日暑くて防寒着を着るイメージは出来なかったけど、一応サクちゃん用にユニクロの薄いウィンドブレーカーを、カエデちゃん用に長袖ロンTを持った。大人はガマンってことで。まぁ30分なら問題ないでしょー。あとは子どもたちの着替えと車内用のおやつやジュースと離乳食のビンを小さなリュックに入れて出発した。
道中のハプニングとリアクション王
キタオくんは出発直後のコンビニでおきまりの缶コーヒーを1本と、朝ごはんを食べていないサクちゃん用に塩むすびおにぎりを1個買って名古屋ICから東名高速に乗った。そして北へ向かい中津川ICで下りた。どこに行くのか知らない私は、ほぉー下呂温泉に行く時に下りたICだーと思った。やがて坂道をグングン登りだしたと思ったら、床に座って黙っていたサクちゃんが急に吐いた。ちょうど道は水田を抜けていく拓けた道に出たので、掃除と気分転換を兼ねて車を止めた。めんどくさいけど今ここでキレイにしちゃおうとマットを外して道路に広げて拭いたけど、なかなかキレイにならない。どうしたもんかと考えているとお菓子が入っていたタッパーを持ってキタオくんが水田の用水路からたっぷりの水を汲んでくるという冴えた行動をとった。その水でマットを流してもなかなかキレイにならない。するとキタオくんは指先をブラシみたいにしてマットをシャーシャーシャーと洗うという、これまた冴えた行動に出た。マットは瞬く間にキレイになった。サクちゃんも山用に持ってきたモンベルのTシャツと長いズボンにお着替えして再び出発した。
このモンベルのTシャツは、かつて一緒に登山をした友だちが出産祝いにくれたもので、やっぱりこういうのを着るとテンションも上がる。これから山道になるというので今度はサクちゃんを助手席に座らせて車窓の景色を見て行こうということになった。一応ヒザの上にバスタオルを敷いておいた。と、すぐにまた吐いた。運転をしながらキタオくんがやたらうろたえた声を出した。キタオくんはどうやらとっさの出来事に結構うろたえる方らしい。まず体がガッシリしている割に、リアクションが芸人並に大きいからこっちが冷静になって見てしまう。私の母の手首にペグが飛んできて切れた時が、その大慌てを見た最初だと記憶している。他には、捕らえようとしたスズメバチがこっちに向かって飛んだ時、アオズムカデがキタオくんの手を刺した時、サクちゃんが唇をぶつけて切った時。そして今回吐いた時。「どうにかしよう」というよりかは、完全に脳がフリーズした表情をしている。そして目はうろたえている。特にムカデが刺したときなんかは大きな声と大きな体であまりに暴れるので、たぶん子供が近くにいたら突き飛ばされたり踏まれたりして怪我をしてしまうだろう、そんな勢いだ。
まぁキタオくんのことはいいとして、そんな事で2度目のお着替えをして、せっかく着たモンベルのTシャツも脱いで、代わりに車内にストックしておいた服に着替えて再出発した。その後もグネグネとした山道をとおり、神坂峠(みさかとうげ)に到着したのは11:30だった。
神坂峠の歴史と知的登山
着いた神坂峠(みさかとうげ)には車が数台止まっている。でも人の気配はない。何もないところだ。標高はすでに1569mとかなり高めであることは後で知った。
神坂峠の歴史を調べるととても奥深い歴史があることがわかった。歴史を知るとは不思議なもので、この何にもない神坂峠にまた行きたいくなってしまう。その歴史とは、こうだ。以下ウィキペディアからまとめてみよう。
神坂峠を抜ける道は、600年代後半あたりから整備された。”東山道”という。読み方はトウサンドウの他に諸説ある。なぜ整備されたかというと、その頃の日本で”律令制”が始まったあたりなのだ。では律令制はなにかというと、「土地と人民は王の支配に服属する」という古代中国からの理想を実現するためのいろんな体制のこと。それまでの日本は”豪族”と中学校の歴史で習ったことばにあるように、その土地々々で力をもった一族が土地や財産や兵隊を持ってその地域に一定の権力を持ってバラバラに支配していたというのだ。もちろん朝廷はあって政治を行ってはいたのだが。しかし唐・新羅との対立関係が悪化してくると、バラバラではなく急速に力をまとめる必要があった。「中央集権化」の動きは前々からあった。646年の「大化の改新」もそれのおこりだ。そして当時の天智天皇は挙国体制のために豪族を再編成し、官僚制を急速で整備した。その結果、天皇へ権力が集中することになった、ということだ。で、この時に地方行政区画もつくられ、道も整えられていったというのだ。
東山道は驚くほど長く、滋賀県から秋田県や岩手県まで続いている。
近江–美濃–飛騨–信濃–(諏方)–上野 –下野–出羽(羽前 · 羽後)–(石背)–(石城)–陸奥(岩代 · 磐城 · 陸前 · 陸中 · 陸奥)
つまり幹線道路だったのだ。
しかし、ここ神坂峠の歴史は更に奥深く、こう続く。
「その険しい道程から東山道第一の難所として知られ、荒ぶる神の坐す峠として「神の御坂」と呼ばれた。神坂峠は、急峻で距離も長かったため、峠を越えられずに途中で死亡する者や、盗賊が出ては旅人を襲ったとの記録が、いろいろな古典に書かれている。後に、東山道(中山道)は神坂峠を避けて、木曾谷を通るようになったため、神坂峠を越える者は減少した。」
おぉ~・・・。なんという深い歴史だろうか。こういうのを知るとこのなんの変哲もない道路がとても意義深く感じるし、また行きたいと思うし、なによりも記憶に残りますよね。
このように、山についていろいろと知ってから登山をしようということを教えてくれたのは、高校山岳部の時に顧問をしてくださった倫理の先生だった。先生はいつもシャツの胸ポケットにちいさな手作り歌集を入れていてテント場でおもむろに山の歌を歌った。”山の子の歌”を私達もよく歌った。冴えてる仲間はよく替え歌を作っていた。その顧問に勧められて読んだのが”日本の山はなぜ美しい”という小泉武栄先生の本。武栄先生は地生態学という、地学と生態学を合わせた考え方の研究をされていた。簡単に言うと、今この山がこういうふうにあるのは・・・というのを地質などの地学的観点と動物の習性などの生態学的な観点と、気候や風などのいろんな条件で見ていくというような内容だったと思う。とにかく知っていくと、今見えるものはたくさんのことが関係しあってこうなっている、ということがわかってとてもたのしい。これは改めて別のページで書きたいと思う。
また、顧問の先生は休憩中によく「ここは何メートルだ?」と質問した。真面目な私達は正解を言わないといけないと思い、必死で考えたことを覚えている。なので事前にその山脈の概念図なんかをかけるようになって山に行ったりもした。地名はもちろん、要所の標高、標高差なども暗記して山に行くようにした(顧問がいる合宿だけだが)。別の山に長けている先輩は、事前に地形図を穴が空くぐらい眺めてから山に入るのが大事だと言っていた。ともあれ、歌でも地形でも植生でも歴史でも、行く山について何かしら好きな方面から知識を得てから登山するというのはとても素敵なことだと思う。私達はこれを”知的登山”と勝手に呼んだ。もしかしてすでに存在した言葉かもしれない。もし最近の登山ブームに乗じて登山を始めたけど、「なんか飽きてきた」と感じる人はこういった角度からまた登山を深めていったらどうだろうか。
そうそう神坂峠の話。こんな碑があった。
神坂峠遺跡と呼ばれ、古代の祭祀に使われた鏡や剣や土器などが発掘されて麓の阿智村の公民館に保管されているらしい。