初心者のための登山とキャンプ入門

旭川でアイヌ語に出会う

旭川のオサラッペ川

旭川に来て衝撃を受けたひとつに、住み始めてすぐに読んだ広報紙にあった「オサラッペ川」の文字。ある種の興奮があった。

異国っぽい!エキゾチック!こんな名前の川があるなんて!

正しいことはわからない

旭川のコタン祭り

このページでは、アイヌについての知識を書くことはなるべくさけたい。
間違っていたらアイヌの人に迷惑がかかるし、じゃあ正しいことを書けば良い、と言っても、アイヌの研究者の多くはアイヌではないから、正しいのかどうか、わからない(らしい)。

北海道大学が一番アイヌに関して知識のあるところなのか定かではないが、アイヌの研究者、授業、ゼミなんかもあるようだ。
しかし北海道大学と言えばアイヌ研究のためにお墓からたくさんのアイヌの骨を無断で持ち出してしまったわけで、その問題は実は今でも続行中で、アイヌの方から返還を要求されている。

2018年の夏にも一部の遺骨を返還したが謝罪は頑なにしない、という映像がニュースで流れていた。
そんなわけで、最高学府でさえそんな様子。つまり、現在進行系で、だれか一人が言う「正しいこと」はわからないし、アイヌの人に言わせれば、「本もデタラメだらけ」だと。

みんなどう思って暮らしてるんだろう

なので、私が旭川に来たときの印象を。
旭川に暮らし始めて、まず私は図書館でアイヌ関係のかんたんな本を10冊程度読んだ。小学生や中学生が読むような、かんたんな本。それと、小説。

ざっくりと知った感想は「何も知らなかった!」という驚きだった。私は、地理や歴史が好きで大学も人文系が好きだったし貧乏旅行なんかもいくらかして、先住民族とかに多少は興味があったつもりでいたから。まったく知らなかった。

その驚きの次に、「旭川の人たちは、みんなどう思って暮らしているんだろう」ということが疑問に思った。
可愛そうなことをしてしまったっていう、罪の意識はあるのかな?友達はどう思っているんだろう?学校は何をしているんだろう?政治家はどういうつもりなんだろう?

まったく無視して暮らしていたとしたら、ひどいことだ。聞く機会があったら、聞いてみよう!こんなふうに、なんか「危機意識」に近いものを感じた。
歴史はわかったけど、現実生活が見えない。これが、はじめに感じたこと。

北海道はまるで違う人々のくらす国

その後、旭川や北海道の歴史の本を読んでまざまざと自覚した新しいことは、150年前まで、北海道は一応ずっと日本国の領土ではあったけど、実情は外国さながらだったってこと。完全にアイヌの世界だった。

私は「アイヌ語」は方言の一つのような感じで残っているとかそのレベルだと思っていたし、日本人と似通ったもんだと思っていた。
しかし実際、文化もなにもかも、全く違う。むしろ韓国や中国とかのほうが、文化も見た目も性格も近いんじゃないか。

まったくの別の人達が暮らしていた世界に「開拓」といって、乗り込んだ。しかもそれはたった150年前。おどろいた。

アイヌの文化に触れて、慣れてきた

アイヌのサケの儀式

旭川に暮らすと、アイヌ文化に触れる機会が多くある。

小学校では、アイヌ由来の給食があったり、年に1回文化を学ぶイベントがあったりする。博物館やイベントでは、アイヌ文様の切り絵体験とか、しおりを作ったり、旭川から20分のカムイコタンで行われるコタン祭りではアイヌ舞踊をみせてもらえる機会もある。

大きなステージのある祭りでは、歌やムックリという楽器の演奏を聞かせてもらうこともある。
マリモで有名な阿寒湖に行けば常設のシアターがあるし、お土産屋さんではアイヌ文様や木彫りの人形なんかもよく見る。

2020年には太平洋側の白老というところに「民族共生象徴空間」ができるし、その関係でかアイヌの衣装を来たポスターやパンフを目にする。
多くは和人主導であり、文化保護のためでもあり、北海道のアイデンティティとするためでもあり、観光のためでもある、という印象。

あと地元のアイヌの方と共同のものもある。 旭川では、アイヌ記念館と協力して、サケを送り出す儀式、迎え入れる儀式なんかがある。
こういったのは道内各地で行われている。植物について学ぶ機会があれば「アイヌの人はこうやって食べたんだよ」とか、そういう説明をたびたび耳にする。
アイヌ語の地名を説明した看板も、よく見かける。チセという笹などで出来た家を作るイベントもある。アイヌ語講座もある。日高ではバスの案内にアイヌ語を使ったりもしている。

数年経ってこのような環境になれっこになった今、やってきた当初のようになにか焦りや危機意識を感じることはない。
きっと道民はこんなかんじなんじゃないだろうか。手芸や工芸品や踊りとかの目に見える文化が保護されるべきものとして、同居している。

アイヌの人たちは

私が直接会ったりしゃべったりしたアイヌの方は数人しか居ない。

その中のひとり、30代の方は言っていた。「私アイヌだよ」って言うと、「何を食べているの?」って聞かれる、と。とうぜん、普通の食べ物である。

若い人の感覚は、私達和人が日本の伝統文化にもつ感覚と同じなのではないかと思う。
普通にくらしていたらなにも無いんだけど、「古き良き文化を守りたい」と思うから、着付けを習ったり、茶道や生花や昔からの調理法を学んだりする。

それと同じように、若いアイヌの方も「文化を守りたい」と思って、歌、舞踊、言葉、工芸、料理、植物の知恵、伝統儀式、、、なんかを古老から学んで自らが継承者になろうと動く。
そういった言葉や文化がまるまる身についていて、意識せずにできる世代は、亡くなりつつある。過渡期である。

また、現在日本では河川でサケを捕獲することは法律で禁止されているけど、アイヌの人は特別に儀式などに使う場合、申請すれば捕獲できる事になっていた。
しかし、より一層の規制緩和と言うべきか、本来もっていた民族の権利の奪還を目指して動いている人もいて、2019年でも現在進行系である。

こういった様子は、Facebookなどでウォッチしておけばどんなことが起こっているのかわかり、ぼんやりだけど輪郭が見えてくる。

旭川に来てアイヌと触れた様子は、こんな感じだ。

「こんな歴史でした、昔はこんな衣装着てました」→「今もこんなふうに伝統を守っている人が居ます」。
一方で「目に見える文化のやりかたを継承するだけで、良いのか?」というふうにも思う。

アイヌは過去の民族じゃなくて今もいっぱいいる。完全に和人と同化してしまうのか。精神文化についてはどうなるんだろう。これについてはアイヌ文化の講習を受けた内容を元に、また別に書きたい。