初心者のための登山とキャンプ入門

石巻のボランティア2日目

初日に作った土のう袋

民家の泥取り作業

朝起きて辺りを見回すと、自分がどこにいるのかわからなかった。
ああ、石巻にいるのだな、と理解するまでしばらく時間がかかった。
それくらいぐっすりと寝たのだろう。消灯後の記憶がない。
人生でベスト3に入るくらいの快眠だったと思う。(赤ちゃん時代除く)
夜10時に寝て朝6時半に起きる。完璧だ。

ピースボートに朝食の用意は無い。
持ってきた朝飯を食べようと思ったけれど、
昨日もらったパンがあったのでそれとコーンポタージュスープとコーヒーを飲んだ。
班のメンバーは昨日の昼食の弁当のあまったものを食べていた。
うまそうだった。
朝飯を持ってこなくても何とかなるな、って思った。

昨日と同様に必要な装備をバックパックに詰めて、
カスカファッションの前に集合。ラジオ体操をする。
青空にラジオ体操の声が響いてゆく。
ラジオ体操は気持ちがいい。

今日の作業場は高橋さん家。
我が2班と4班の合計10名ほどで、高橋さん家の床下と庭の泥をとる作業をする。
スコップ、土のう袋、箒、ちりとり、1輪、ツルハシなどを軽トラに積み込む。
高橋さん家までは歩いて10分ほど。
トイレはカスカファッションを利用するので、自転車も2台連れて行った。

高橋さん家は一般的な和風造りの家で、1Fの間取りは確か2LDK。
それとほどよいサイズの庭と駐車スペースがあった。
家の床は無く家の基礎が全て見えており、また壁もない部分が多かったが、
柱には問題がなさそうだった。

作業開始。まずは床下の泥をとる。
床下の泥をとって土のう袋に詰める、そんな作業だ。
と言っても、作業をとりかかった時点では、
僕には何が良くないのかわからなかった。
これは普通の床下なんじゃないかって。この状態が普通なんじゃないかって。
でもどうやら違うようで、僕が普通だと思っていた床下は固まった泥。
それは約10cmの厚さで、それを取り除く作業だった。
広い家ではないけれど、全体から厚さ10cmの泥を取るのは大変だ。

泥取りは2人に別れて行った。
一人が泥をスコップで救い、もう一人が土のう袋に泥を受ける。
土のう袋には泥を満タンに入れず、半分以下にする。
重すぎると運ぶのが大変になるからだ。
どんどんと土のう袋は溜まっていった。
それにしても腰が痛い。
柱が張り巡らされている床下の作業では思い切り体を使えない。
時計を見るとまさかの9時30、時間が進まない。
やばいなあ、なんて思っていたら、リーダーも腰が痛い、
ゆっくりやろう、と言ってくれた。
ありがたい。

皆の要領はどんどんと良くなっていったし、
作業リーダーの指揮のもとみんな一生懸命もくもくと泥をとっていたので、
午前中には床下の泥取り作業は終了した。
昨日に引き続き弁当はとても美味しかった。
肉体労働をして現場で弁当を食う。
懐かしい感じだ。こんな人生も悪くない。

午後は庭の泥取り。家の床下以上の泥を取らなければならない。
庭の泥取りで大変だったのは、泥に砂利が混じっていることだ。
床下の様にスコップでスッと取ることなんてできない。
剣スコと言う先の尖ったスコップで地面を思い切り蹴らなければならないし、
時にはツルハシを使って掘らなければならない。
汗はだらだらで体はべどべとで、
増え続ける土嚢を持ち運ぶ腕もパンパンになってきた。

作業の途中、何度か高橋さんの奥さんが様子を見に来てくれた。
差し入れもしてくれた。
本当にありがたい。

やることはまだまだある

休憩中タバコを吸いながら辺りの家を眺める。
今まで何となしに歩いていたけれど、
だいたいの家の一階部分はめちゃめちゃで使用不可能だった。
状態には差があって、すでに修復されている家、
修復手前の家、そして全く手をつけていない状態の家があった。
それを見て、これはしばらく終わらんな、と思った。
まだまだ僕にはやるべき仕事があるな、と思った。
昨日車で街中を走っている限りでは、
素人ができる仕事はもうないのかな、と思っていた。
作業は午前中で終わっているし街はきれいに片付いている様に見えた。
だけどこうやって直接歩いて街を見てみると、
1階が使用不能な家はいくらでもある。数えるのが大変なくらいだ。
そして10人の人間が、半日かかってやっと床下の泥を運び終えただけだ。
また来よう、やるべきことはまだあるんだ。
ここに来て初めて、自分がボランティアとして石巻に来ている意味がわかった気がした。

被災者からのメッセージ

庭の泥取りは半分以上残したまま2日目の仕事は終わった。
カスカファッションに戻ると、昨日と同じように自分の装備の掃除、
割り当てられた「お手伝い」をする。
シャワーに入り夜飯のハヤシライスを食べる。
そして19時半頃「被災者の声を聞く会」(タイトルは実際違う)的なものが催された。

石巻が地元の方が、震災当時の事を語ってくれた。
テレビやラジオからではなく、初めて聞く生の被災者の話だ。
それはもう、ものすごい内容のものだった。
テレビで見た写真や映像、そして僕の想像するものを遥かに越えていた。
その方が話した中で印象に残った言葉がある。
「命てんでんこ」という言葉。岩手の三陸に伝えられいる言葉らしい。
その意味は、家族がバラバラになっても自分の命は自分で守れ、ということ。
家族を置いて行くことになっても振り返らずに逃げろ、ということらしい。
石巻の被災者が他の地域に比べて多いのは、
地震の後逃げずに家に戻った人が多いからだと言っていたが、
そういう事なのかもしれない。
助けに戻れば犠牲者が増え続けるだけなんだ。

僕はこの「命てんでんこ」という言葉をみんなに伝えていこうと思う。
そして僕自信もこの言葉を忘れない様にしなければならない。
目の前で家族や友人が津波で流される姿を想像する。
それでも僕は高い方へと逃げる。

昨日とは違って夜はうまく眠れなかった。
外の仮設トイレに行こうとドアを開けると、夜空にはたくさんの星が輝いていた。
今日はなんたら流星群らしい。
夜空に消える白い息を見ていたら、星が1つ流れた。