初心者のための登山とキャンプ入門

子供を置いて登山再開。石川県の白山と別山 ①

加賀別山より白山を望む

子供が産まれてからの5年間は子連れハイキングをたまにしていました。しかしそれだと行ける山も歩ける距離も限られてしまう。そんなときふと、「そろそろ置いていっても良いんじゃないか」と思い立って学生時代の友人との登山を再開しました。場所は石川県にある日本百名山、白山と別山。久しぶりの大人だけの世界。自分だけのために歩く時間。日常とはかけ離れた大自然。いいと思います。

たるみきった体に、白山

転勤で名古屋にいるうちに、有名な山に登っておきたいと思ったりもするけど、だいたいどの山も最低1泊2日が必要だ。何回か子連れ登山をして分かったことだけど、幼児連れでの泊まりはムリだ。荷物も多くなるし、山では夜の話し声とかのマナーはとても大事。だから、もし、登頂したい山が決まっていたり、「こんな登山がしたい」という自分の希望がある場合は子供は連れて行かないで、大人だけで行ったほうが良いんだろう。子供の年齢にも依るところが大きいだろうけど、子供を連れて行く場合は子供に全部合わせるというふうにして、まったく別物と分けて考えたほうがストレスが無くて良い。そんなわけで、「子供は置いていこう」と思い立った。3歳と5歳。もうそろそろ良いだろう。

夏も本番に入ると、急に焦りだした。「良い山だ」と耳にしたことのある白山。登山口までは名古屋からも4時間くらい。良い距離だ。万が一東北などに転勤してしまった場合、登山のためだけに来ることが大変になることは間違いない。

とか言いつつ、私は石川県からははるか遠い関東に住んでいる大学時代の登山サークルの仲間に声をかけた。東京からはとても遠いというのにすぐに4人のメンバーが参加を表明してくれた。やはり日本百名山というブランドは大きい。「こんな山に登る機会、めったにないから」そう思ってくれたのだろうか。とにかく久しぶりの登山に仲間は多いほうがにぎやかでうれしい。

急に登山をしようと思い立ったのは、実はもう一つ理由がある。名古屋では毎日クルマ生活で、自転車どころか歩きもしない、そんな生活でなまりきった体にカツを入れたかった。糖尿病になった父の言葉が印象的だった。「筋肉は原始的だ、鍛えれば何歳でも復活する」。そう言った父は毎日ジョギングや筋トレをし、体力を取り戻し、老人のように曲がっていた背筋はまっすぐになった。私もまだ間に合うはずだ。

日にちを決めてから登山までは、1ヶ月以上もあった。私は何回か、保育園のお迎えにカラのドイターのキッドコンフォートを背負ってジョギングした。歩くと25分かかる距離だ。暑くて暑くて、汗がダラダラ出た。途中ですれ違った保育園の先生はびっくりしていた。
帰りはもっと辛かった。15kgになろうとしている子供は、本当に重い。キッドコンフォートを買ってからというもの、基本的にはいつも主人が背負っていたから、私がまともに背負ったことは無かった。しょいこ自体が3kg弱はあったし、濡れたおしぼりや使い終わったオムツなんかの荷物も入っているので20kg近くはあったと思う。背中全体の筋肉を十分に使って、腰の角度も気を付けたりしないとどこかの筋を傷めてしまいそうだった。毎回、途中のコンビニで休憩し、元気を奮い起こしてあと1分を歩いた。といっても数回やったあと程なくして上の子供が「疲れるから、もう歩いてお迎えに来ないでほしい」と言ってきたのを機に、やめた。

あとは、夜の大きな公園で、トラックの真ん中で子供を遊ばせて私はトラックを走る、というのもやってみた。ライトを持たせた子ども達を私はなんとなく見えていたけど、紺色の上下のジャージを着て照明もない暗闇を走る私の姿を、子ども達は見えなかったらしい。背が低いからかも知れない。月明かりだけの、ひとけもない真っ暗な公園だった。「あそこでは夜間ヤクの売人が集まって売買をしているらしい」そんな話を、転勤したての主人が誰かから仕入れてきた。
恐れをなした下の子供は私のことを追いかけて、どこか暗い森の方へ走って行ってしまった。私はそれをトラックの反対側を走りながら見ていた。上の子が追いかけていくのが見えたから安心していると、上の子はすぐに所定の位置へ戻ってきていた。見失ったらしい。探しに行くと真っ暗な森のけっこう遠くで小さなLEDライトをもって泣いているのを発見した。みんなで、「もうやめようね」と言ってジョギングは諦めて家に帰った。

そんな感じで、家で過ごす時間を有効にトレーニングに使えないものかとのアイデアは失敗し、あまり効果的に体力づくりも出来ないまま当日が近づいてしまった。だけど、エスカレーターよりも階段、とか、ちょっと歩くなら小走りで、とか、少しくらいは体を使おうと意識することくらいしか出来なかった。

前夜車中泊に挑戦

白山へは、名古屋から車で行き、市ノ瀬ビジターセンターに駐車し、そこからはマイカー規制のためシャトルバスを使うという交通手段になる。運転は約4時間。当初は未明に出発する案だったのだけど、たまたま9月の連休で車中泊で熟睡するという成功を納めていた私は前夜車中泊を同行の後輩に提案してみた。素直な後輩のタキちゃんが断るハズもない気がしていたので、提案するには勇気が必要だった。案の定、どんなことでもトライする、ガッツも柔軟性もある、きっとどこだって眠れるタキちゃんは快く賛成した。

車中泊は良いとしても、もう一つついてくる問題は夜間の高速道路と山道の運転だ。運転がそれほど慣れていないというタキちゃんと二人で向かうことになった。不安だ。金沢まで行けばそこから登山口直通のバスも出ているけど、そのためだけに金沢まで行くのも遠すぎた。どう考えても車で登山口に行くのが合理的だった。

出発前、2列目以降のシートを倒し、車中泊に詳しい人のサイトを見て作った板の上にマットレスも敷き、寝袋も用意してすぐに寝られる体制にしておいた。夜間の運転は一度高速道路の出口を間違って、再度逆方向に乗るためにウロチョロする道中で大きな鹿が車の前に立ちはだかるというビックリがあり、それで30分弱をロスした以外は順調に進んだ。一度越前大野のローソンでおやつを買いに降りた以外は全部私が運転した。小学校の先生をしていて、授業を終えて晩ごはんを食べる時間もなく駆けつけたタキちゃんと比べると、どう考えても私の方が疲れ度に余裕があった。それに、なんかハイになってきて運転の疲れも感じなかったし、何よりも運転の新記録を作りたかった。理想としては20時間位走れる体力が欲しい。そしてまっくらな山道もグングン走行し、深夜の12時前には駐車場に着いた。私は充実感でいっぱいだった。

ところで、道中たまに見かける温度計の示す温度が低くなっていっているのが気になっていた。「15℃」とか「8℃」とか。まだまだ暑い日が続いていたので、へぇ、8℃ってどんなんだったろうか、という疑問が頭をかすめた。「寒い」っていうことが想像できない。だから今回も上の山小屋で泊まる時の防寒着をイメージするのに苦戦した。「とっても寒いんだろう」そう知っていても、どうしても甘く見てしまうものだ。

登山口に到着するころには「2℃」という表示も見た気がした。なのでさすがにイヤな予感がしてはいたけど、到着して車のドアを開けたとき、軽いショックを受けた。寒い。「歯磨きに行って来ます」。タキちゃんが出て行った。私はしばらく出られなかった。やばい、寒すぎる、寝られるんだろうか、登山は大丈夫なんだろうか。タイツを持って来るべきだった。ペラッペラのビニールみたいなズボン1枚で来てしまった・・・。目の前がサ~っと暗くなる気さえして、一気に憂鬱になった。

歯磨きはもうイイヤと思ったけど、どうしても寝る前にトイレには行っておくべきだろう。途中で行くのだけは避けたい。ウィンドブレーカーを着て思い切って外に出たとき、呼吸が止まったような感じがした。肺がビックリしてうまく奥まで吸えない、みたいな。登山を続けている学生の頃は、こういう事は日常的にあった。寒すぎるとか、雨でびしょ濡れだけど耐える、とか。でも最近ヌクヌクと生活していたので、やっぱりなまってしまったのだろうとしか言いようが無い。

今回車中泊用に用意した寝袋は、モンベルの封筒型シュラフで、3シーズン用。「これじゃあ暑いだろうけど、入らないで掛けてもいいし」。そう思って余裕があるつもりだったけど、大丈夫かなと心配になった。タキちゃんの分も私が用意したので申し訳ない。でもまだ青春の鍛えの最中に居るタキちゃんなら、ガッツで熟睡することができるのだろうという気もした。

市ノ瀬駐車場はビジターセンターもあるくらいだから、かなり整った登山口であろうということは事前に想像がついていた。登山口によっては、「ここに死体が遺棄されていてもおかしくないだろう」という暗い雰囲気の場所もあるし、ある時の前夜泊で泊まろうとした川沿いの砂地は、明らかに獣の臭いがプンプンしたこともあった。登山の前後って、望まずともワイルドな場面に遭遇することが多いのだ。

想像したとおり整った駐車場には適度にそれぞれ車間を取った多くのクルマがあり、すでに翌日のために眠りに入っていた。私たちは安心した。そして2列目と後部の窓にカーテン代わりのマットを貼り、ネックウォーマーとかインナーダウンも着込んで眠りについた。ノアは30代女性二人にはベストな広さで、ぶつかることもなく快適に眠ることが出来た。封筒型のシュラフの首元に冷気が入らないようにして、体温で寝袋があたたまるのを待って眠るのは久しぶりの感覚だった。途中2回位目が覚めたけど、運転の疲れも取れるくらいグッスリと眠ることが出来た。かつてスキーや運転の途中でリクライニングを倒して仮眠することはあったけど、十分に睡眠が取れたと思ったことは無かった。今回は作成したまっ平らな板の上で普段と同じ程に睡眠を取ることに成功して、私はまたひとつ旅の可能性を広げた気分になった。

仲間が来ない

翌朝、6:30にタイマーが鳴って、目が覚めた。7時に集合だからそんなにノンビリもしていられない。かと言って氷水のような水で顔を洗うつもりもないけど、日焼け止めを塗ったりコンタクトをはめたりとやることはいっぱいある。

車の外にはたくさんの登山客が居て、バスを待っていた。若い女の子が、北陸交通の社員だろうか、黒いバッグを首から下げてバスの切符を売っていた。市ノ瀬ビジターセンターは谷あいにあり、暗い感じがした。朝が早いからかもしれない。

ところで、ここで合流するはずのヨシコさん夫婦が現れない。もうすぐ約束の、1本めのバスが出てしまう。
ヨシコさんは登山サークルOG会の山行に於いては常にリーダーをする人であり、仕事として山岳ツアーの添乗員もする人である。遅刻をするということはありえないし、これまでも一度も無かった。なぜ居ないのだろう。
しかし、「今回は、あるかもしれない」そんなふうにも思えた。今回はタキちゃんがリーダーで計画を立てているし、タキちゃんも私も現役時代にはバリバリ登っていたほうで、ヨシコさんは仲間として信頼をしてくれている。それにヨシコさんが「こっちからのほうが近そうだから、私達夫婦はこの道で行くわ~」と言った道は、直線で見ると近いけど、けっこうな山道に見えた。八ヶ岳にログハウスを持っていて、関東の自宅とログハウスをしょっちゅう車で行き来し、何時間者山道や暗い道の運転にもかなり慣れているヨシコさんなので何も言わなかったけれど、私がGoogle マップで調べた所ではヨシコさんの言う時間よりもかなり多くの時間が表示されていた。

「携帯の電波届かないみたいです」。auのスマホを使っているタキちゃんが言った。ソフトバンクの回線を使っているYモバイルの私の携帯ではさらにダメだろうと思って掛けてみると、繋がった。途切れ途切れの会話だったけど、どうやらあと2時間は掛かりそう、先に行っていて欲しい、という様な事だった。私達も急ぐ理由は無いけれど、ここは寒いし暗いし、私たちは私達で歩けるし、ヨシコさんたちはヨシコさんたちで歩けるし、白山は近いからまた来ることもできるけど、そこまでを考慮しても、待つ理由は何も見つからなかった。それはタキちゃんも同じで、「じゃあ、南竜山荘で会いましょう」と言って電話を切った。

といっても、普段の登山ではあまりパーティ(グループ)を分けて別行動ということは、しない。特にトラブルがあった時なんかはパーティーを分けることは遭難への第一歩と言われている。
今回は食事付きの山小屋泊で予約もしてあったので、泊まるとしたら絶対にそこしか無いし、テントを担いでいる人が来ない、とかそういったこともない。行動食などの食べ物、飲み物も各自のものは各自で持っている。万が一ヨシコさん夫婦が山小屋に来なかったとしても、私たちは予定通り登山をして下山するだけなのだ。相手がどうであれ、その後携帯電話で連絡が取れないことを前提にしても、自分たちの山行は完結できるというのがポイントであった。もちろん下山するまで出会えなかったら、「あれぇ~おかしいね、なんかあったかね」と心配はするだろうけど。

二人だけの出発

7時の市ノ瀬発のバスに乗った。久しぶりの、登山者がいっぱいの、登山者だけのバスだ。最近ではお年を召した方もおしゃれなウェアを着ているなと思った。席に座ると、私とタキちゃんのどちらからいうとも無く、今日別山に登ってしまおう決まった。歩くコースを変えて、明日全員で白山に登るのだ。たしかに南竜山荘に着いた後に別山を往復するとしたら、余計に5時間はかかる。でもまだ朝は早かったので間に合うだろうと思われた。

市ノ瀬から別当出合のシャトルバス
シャトルバス 片道500円

そもそも、当初の計画では別山に行くつもりはなかったけど「別山から見る白山が素晴らしい」と言ったのは弟だった。私も今回登らないと、別山に行くことはもう無いように思われた。ヨシコさんに相談すると、「お花畑の季節には、それはそれは見事だ」と言った。登山に前向きなタキちゃんはもうひとつ山に登れるという事で、もちろん賛成した。しかし別山を入れると結構な長時間行動になってしまう。しかしヨシコさんは言った。「1泊2日のツアーでも、別山に行くことがある」。しかしこうも言った。「ツトムさんは歩けるかなぁ・・・」。ツトムさんとはヨシコさんの夫の事である。

良いことには、白山や別山にはたくさんの登山道があって、周回して同じ駐車場に戻ってくることが出来る。1日目の歩く様子を見て、「明日は別山は厳しいからやめよう」と変更することも可能だった。だから計画としては1日目に白山経由で南竜山荘、2日目に別山経由でチブリ尾根を通って市ノ瀬に下山することになっていたけれど、初めから大いに変更の予定有りの計画だった。

それに、白山に来たことのあるヨシコさんは別として、初めて来るツトムさんにとっては別山よりは白山に登頂できたほうが良いに違いない。だから100名山は全員で行こうとなったのだった。

そんなことで時間も少ないので、黙々と歩いた。もともと多くを語らないタキちゃんだったので、気が向いた時に私が一方的にしゃべり、タキちゃんが素晴らしいあいづちを打ってくれるという感じだ。白山の登山道はちょうどよい地点にトイレや休憩所、避難小屋などがあり、荷物も少ない私たちはとてもよいペースで進んだ。

南竜山荘方面を望む
南竜山荘方面はみどりが美しい

7:20に別当出合を出発し、砂防新道を通り、甚之助避難小屋を通過した後は南竜山荘に向かった。多くの登山者がくる人気の山とあって、設備だけでなく道もとても整備されていて歩きやすかった。甚之助避難小屋を過ぎた辺りからか、別山方面の眺めもよく、とくに南竜山荘のある平になっている部分は、低い木や植物が風でなびく中に赤い屋根の山小屋があって、それはもう楽園のように見えた。

南竜山荘手前の木道
南竜山荘付近は木道が整備されている

12時に南竜山荘に到着した。

南竜山荘

私は山小屋に泊まったことがあまりない。タキちゃんは初めてらしい。ツアーで何度も泊まっているヨシコさんは、「南竜山荘は、合宿所みたいだよ」そんなふうにも言っていた気がした。1泊2食で7900円(税込)。別山に行くには白山側よりもこちらが良いだろうと思って選んだ。サークルのOG会の山行でも山小屋を使うことはめったにないし、あこがれとしてはテントを担ぎ、何歳になっても縦走できる体力であるのが理想なんだけど。

500円程度払えば済むテント場と比べると、たしかに高い。しかし、結局晩ごはんや朝ごはんの食費でこの他に1500円はかかるだろう。食材も鍋も必要だ。大人4人分の食事って、結構重いだろう。仮に重さに耐えたとしても、暖かく眠るとしたら薄い寝袋なら2つとシュラフカバーやさらなる防寒着も必要だ。そう考えると、7900円はとても安いように思えてきた。いざやるとなると、冷たい地面の上で震えながら寝るという事に怯んだ。そんなわけで山小屋泊りとなった。私はいつの日か再び、テント泊の縦走が出来るんだろうか。

南竜山荘の休憩所からの眺め
南竜山荘休憩所からの眺め

南竜山荘には感じのいいお姉さんが受付にいた。小屋の内部では宿泊客でなくても休憩できるようになっており、素敵なところだった。しかし宿泊のチェックインは、バラバラに出来ないという。今でも後でも、一度に4人分の料金を払わないといけないのだ。私は1万円しか持っていなかった。山でお金は使わないだろうからと置いてきてしまっていたので、困った。

別山をピストンするのに不要な荷物は置いておけるから、後で着いたヨシコさんたちがチェックインすれば良いか、とも思った。しかし4人分、約32,000円のお金を仮に持っていなかったら、どうだろう。私達が戻る夕方まで、眠くてもベッドに案内してもらえずに椅子に座って待たないといけない。長時間の運転で疲れているのに、それは可哀想だ。どうしたもんだろうか、と思っていたら、「払っておきましょうか」とタキちゃんがいう。「え、3万円あるの?!」「はい、念のため持ってきました」。なんとなく、タキちゃんは持っていないだろうと勝手に決めつけていた。
そんなわけで無事、チェックインを済ませた。と同時に、朝ごはんを食べてから行くか、それともお弁当にしてもらって今晩受け取り、朝出発してから外で食べるかを決めないといけなかった。私達が別山から戻る頃にみんなで相談して決めるのだと、お米を炊く都合上間に合わないらしい。ひそかにご来光を見ることを狙っていたタキちゃんは「お弁当にしましょう」と言うので、そうした。すると1人100円づつ割引になった。

あとはお湯を沸かしてカップラーメンを食べ、ドリップコーヒーを入れ、たっぷり1時間休憩した。窓の外の景色は登ってきた市ノ瀬方面が見えてまるで外国の様な景色だったけど、眺めていてもヨシコさんたちが来る様子は無かった。

別山ピストン

受付のお姉さんに書き置きをしたいので、と頼んだ。「ヨシコさんへ、別山に行って来ます。12時出発」。”16:30までには戻ります”、続きにそう書こうか迷って、やめた。日暮れを考えるとその時間がリミットだと思われたし、遅くなってしまうようだったら登頂も諦めて戻ってくるつもりだった。でも、もしかしてその時間を過ぎたら心配が大きくなるかもしれない。受付のお姉さんは、今からだと帰りは暗くなるので、と声を掛けてくれた。「ハイ、きちんとランプを持って行きます」と伝えて出発した。

南竜山荘より別山へ向かう
別山まではガクンと下り、また登る

南竜山荘の周辺はそこらへんだけが本当に平らで、広々して眺めがよかった。本当に外国のようだった。テント場を通り過ぎ、ケビンを通り過ぎ、木道を通り過ぎると道はガクンと下がって川を渡り、その後急な斜面の登りとなった。この先にはひとけも無く、市ノ瀬ビジターセンターや南竜山荘で見た”クマ出没情報”が頭にちらついた。白山までの道にはあれほどたくさんの登山者が居たのに、大きな違いだ。それにこの時間だと、この先で多くの人に出会うことも考え難かった。心細くなりながら黙々と登った。あまり時間がない。休憩時間を含んでもコースタイムよりも早く帰ってこなければならない。

白山の熊出没情報
南竜山荘の熊出没情報

私は先頭でペースが落ちないようにと体制を整えてリズムよく足を前に出すことに気を配った。後ろを歩くタキちゃんはかなり余裕そうだった。荷物はほとんど南竜山荘に置いてきたから軽かったけど、久しぶりの長時間歩行で太ももの筋肉が少しづつ疲れて来ている事が分かった。自転車で長い上り坂を登った時のように。

しかし急斜面を登ってしまうと、そこは今日歩いてきたどの道よりも雄大な景色が広がっていた。左手すぐ下には、これまでたくさんの命が奪われただろうと思われるようなダイナミックな崖の斜面があり、遠くには槍ヶ岳や御嶽山が見えた。もっと歩いて行くと、あれ、もっと北にも大きな山脈が続いている。これまで歩いた北アルプスの山々や地図を思い出しながら考えていると、「あれは剣岳だ」と思った。「やっぱりそうですかね!」タキちゃんも言った。その瞬間は感動に近いものがあった。

登山の楽しみというのは、今歩いている山や電車の車窓から自分がかつて登ったことのある山を見る時、同じ山がテレビで放送されているのを見る時などに思い出せる、ということがあると思う。車で通り過ぎたら何も覚えていなくても、一度歩くと結構記憶に残る。歩くって不思議な行為だ。

途中の天池にはサンショウウオも居た。夏にはすごい群落だったであろうことを思わせるコバイケイソウの立ち枯れの斜面もまた、やがて冬が訪れることを思わせて風情があった。チングルマの綿毛も揺れていたし、ナナカマドの葉っぱはもう見頃が過ぎてしまったのか、葉は落ちて真っ赤な実だけがついていた。それが青い空に映えて、とてもきれいだった。

別山 天池(あまいけ)
天池にはサンショウウオが居た

隠れていた別山はとても大きく、最終的に道標が見えた時には「あれだったか」とその正体を初めてみて騙された気分になった。思っていたよりももっともっと奥に頂上が隠れていた。最後にどーんと出現したようだった。

別山
一番高いところが、別山のピーク

14:20に頂上に付くと、かなり風も出ていた。写真を撮って、景色をいっぱい見て、腰も下ろさずに下山に向かった。それにしてもそこからみる白山はとても大きかった。
標高850mに駐車して、シャトルバスで標高1260mまで行き、そこから2702mの白山頂上を目指して登山を始める。かなり大会場所までバスが入るのでその日中に辿りつけてしまうけど、実は、のっぺりとしてものすごく大きな山だということがわかった。

絶景を見ながら、思い出したことがあった。今回主人に子守してもらって置いてきた5歳になる上の子供が、出かける前にわざと鬼のように作った顔で文句を言ってきたのだ。自分たちは置いて行かれて、私だけが山に行くのだと察知したらしい。
「ズルい、ママだけ絶景を見に行こうって思ってるんでしょ!!」
その時は、なんじゃいその責め方、と拍子抜けしたけど、それが不意に思い出されて笑えた。”絶景”って、そんな言葉良く知ってるな、とも感心した。それに、なんとも前向きな責め方だ。私はこのセリフがちょっと気に入った。

それにしても不思議なものだ。こうやって友人と昔のように登山をしていると、はるか遠くに見える北アルプスを歩いたことが17年以上前のことだなんて思わないし、10歳年の離れたタキちゃんとも世代の差を感じない。それに家に置いてきた子ども達のことも、この時まで全然思い出さなかった。帰ったら写真を見せてあげよう。

帰りも黙々と、いや、やがて見えなくなってしまう北アルプスの山脈と、誰もいない秋の稜線を惜しみつつ歩いた。「白山を眺めるために別山には行ったほうが良い」そう聞いた意味もよくわかった。

別山側から見る白山と南竜山荘
別山側から見る白山はめちゃくちゃ大きい

私は普段のヨシコさんのパターンからすると、別山に追いかけてくるだろう、と思っていたので、こっちから先に発見して驚かせようと思った。見晴らしの良い所に出る前にはちょこっと隠れ気味にしながらコッソリ先を覗いては、ウキウキしながら歩いていた。私達のサークルには再会の合言葉があって、例えば人がいっぱいのテント場に顔の知らないOBが合流する時なんかに見つけやすい、便利な合言葉だ。「おーい」では誰を呼んでいるのかも分からないし、覚えやすくてキャッチーでないといけない。私は先に呼ぼうと構えていたけど、ヨシコさんは来なかった。
南竜山荘の全景が見えてきた頃、サンダルを履いて建物の前でこちらを見ているヨシコさんを見つけた。着くのが遅かったのだろうか、疲れているのだろうか。または歳を取ったということなのだろうか。「ヨシコさんどこで追いつくかなあ?」なんてずっと話していたけど、かしこいタキちゃんはもちろん「追いついてくると思ったのに」なんて余計なことは何も言わなかった。南竜山荘に着いたのは16:40で、受付のお姉さんが、「早いですね!」と驚き気味にほめてくれたのが少しうれしかった。