初心者のための登山とキャンプ入門

タクシーをチャーターしてチェジュ島観光 -子どもと海外旅行 in チェジュ島 ⑥-

キンパ

12/19(月)、約束の8時半を2.3分過ぎてエレベーターを降りると、待ち合わせのソファーのところにキョロキョロしながら携帯電話に耳を当てているおじさんの背中が見えた。すぐに「あの人だ」と思うと同時に、たった数分しか過ぎていないのにあんなに心配した様子で探してくれる姿に信頼感をもった。
そのガタイのいいおじさんがこっちを向いたので会釈すると、ニコッと笑って携帯を閉じた。

運転手はアンさんといって60歳くらいのおじさんだ。韓国ドラマでもよく出てきそうな、人のよさそうなかんじ。でもにこっとしないと怖そうにも見える感じの。アンさんのタクシーは黒で、席は青と山吹色の刺繍っぽい布のシートだった。カバーやビニールじゃなかったから汚したらイヤだなぁと気になった。
でも貸切タクシーというのは本当にありがたく、2人とも靴を脱いで席に立ったりおもちゃを広げたり足元にしゃがんだりとすぐにのびのびとしだした。多めに持ってきた防寒着もお菓子も車に置いておけるし、とにかく締め切られた空間でうるさくしてもいいしどっかに行くのを追いかけなくて良いのもとてもありがたい。

アンさんはとにかくたいへんな親日家だった。たしかお姉さんとかが日本人に嫁いで、息子のお嫁さんが日本人で…とか、そんな感じで日本人と関わりが深かった。そんなことで独学で日本語を勉強したらしく、私達との会話に困らないどころか「これは伝わらないかな?」と思って聞いたささいな質問にもほとんど答えられる、日本語の上級者ってかんじだった。「お舅さんがこんなに日本語が上手だったらお嫁さんもうれしいですね」そんなふうにあそさんが褒めていた記憶がある。

他にも食堂のおばさんとかも家族のだれだれが日本人と結婚して…とか言っていたから、なんかチェジュと日本はとっても近しい感じをうけた。 アンさんは運転するだけでなくガイドもしてくれるようで、チェジュドの説明を始めた。「チェジュの歴史について何か勉強してきましたか?」そんな風に聞かれて、よっしゃーとばかりに「歴史の本を1冊読んできました!」と答えた気がする。

アンさんは有名な「三無」「三多」の話から始めた。書くと長いので省くけど、この風習というか歴史のおかげで、チェジュはぼんやりと良い印象があっていつか行きたいと思っていた。心の美しい素朴で純粋な人が住む自然豊かなところという印象。なんてったって「東洋のハワイ」だ。あそさんが「韓国のハワイ」と間違って言ってたのが笑えたけど。

チェジュ島の印象、昔の韓国のイメージ

チェジュを知ったのは大学1年のころ韓国を旅行した時だから、もう16年前のことだ。あの時は韓国はそこまで日本人の大好きな旅行先でもなかったけど、「日本と歴史的関係も深い近隣の国を知っておいたほうがいい」という感じだった。16年経って、「ご飯がおいしいから」、「ドラマで好きになったから」、「好きなアイドルがいるから」、「化粧品が良くて安いから」そういう理由で純粋に韓国に興味を持って旅行する人がこんなに大勢になるなんて、本当に驚くべき変化だ。

当時韓国に来て思った感想は「日本人は韓国人を下に見すぎている」ということだった。韓国の街中には韓国製の車が走り、歴史的建造物と街の機能もうまく同居してきれいだし、市場には活気がありミョンドンでは安い韓国製の良い服がいっぱい売られていた。安宿が満室だからと自宅に留めてくれた宿主のおうちはたくさんのツボが並んで豪華だったし、1泊500円の安宿だってオンドルで暖かかった。

当時日本では「在日韓国人」というとイメージは良くなかったし、ホテル清掃をしていた時も韓国人のお客さんが宿泊した後の清掃はちょっと嫌がられた。韓国人の教会の日常清掃も人気なかったし、新大久保も同じでちょっとガラがわるい感じだった。そんな風で韓国に来たから、「日本人が思う印象よりずっと上だ」って思ったんだ。たぶん私だけの印象じゃなかったと思う。
だけど今や在日韓国人の人らのスポーツ界での活躍もめざましいし、もしうちの近くに韓国人の人が住んでいたらお友達になってほしいくらいだ。とにかく「ちょっとステキな国」ってふうになってる。パソコンやテレビや携帯で世界的になったサムスンやLGなどの成長に韓国政府の援助があったからなのか分からないけど、音楽やドラマなど韓国文化の輸出とかここ十数年の韓国の発展ぶりをみると、一番に政府の戦略がハッキリしてる点が素晴らしいと思う。多分いろんな発展の中で国内では同時にたくさんの矛盾が生まれてるんだろうけど、とにかく方針が目に見えてるようなところが、いい。日本も常にいろんな改善が行われてるんだろうけど、イマイチどういう流れでやってるのか分かりにくいところが、やる気にさせてくれない。
まぁそんな話はいいとして、チェジュは特別に華やかでもなかったからそういう変化も感じることは無かった。

コンビニでキンパをイートイン

行く途中にコンビニに寄ってもらった。朝ごはんを食べてなかったからだ。パンとかを買ってタクシーの中で食べたらいいかなぁと思っていた。アンさんが寄ってくれたコンビニには奥に食べる用の机があった。「キムパプ、ノリマキ食べたいですか?」アンさんは言った。「食べたいです!」と答えると「買ってきます」といってどこかへ行った。
私たちはカステラ風のパンやらバナナカステラ風のお菓子やら牛乳やらの買い物を済ませて朝食がわりに食べているとアンさんがアルミホイルに包まれたノリマキを持ってきてくれた。外に行こうとするので一緒に食べましょうというと車で待ってます言ってしまった。

海鮮鍋の次にはノリマキが食べれるなんて!と超うれしかった。ノリマキは韓国ドラマなんかでも良く出てきて、道端で売っていたりする。チェジュではまだ道端で物を売っているのは見かけてなかったけど、来たらぜひ食べたいものの一つだった。
アンさんが買ってきてくれたのは日本で言う太巻きを少し細くしたくらいのサイズで二本あった。温かいのにすごく上手に切ってあって米粒までビシッとぐちゃぐちゃになることなくカットされていたのがとてもきれいだった。
韓国のノリマキは酢飯じゃなくってノリのせいか少し甘い感じがする。具は青菜とかおしんことかいろいろ入っていてキュッと締められてたから崩れることもなく固くもなく食べやすくておいしかった。地元の人が買うだけあって、きっとすばらしい方のノリマキなんだろうか。平均なんだろうか。日本で売ってたらしょっちゅう買うのにって思った。日本の太巻きは値段の割にそれほど好きじゃないんだけど

お米を喜ぶと思っていたサクチャンは全く食べずに、相変わらずイスに立ったりテーブルに乗ろうとしたりイスの下にカステラをこぼしまくってぜんぜん落ち着かなかったけどアンさんのおかげでコンビニでのイートインとノリマキ体験をして大満足の朝食だった。
アンさんにノリマキおいくらでしたかと聞くと「いいですいいです」と御馳走してくれた。帰りにチップくらい渡すべきだったかな。

しばらく走ると、のどかな風景に変わってきた。家はみんな平屋で、石垣には溶岩が積まれている。「よく倒れないな」っていうくらい、けっこうこまめに低い石垣が作られている。風が強いから、畑との境とかに作るんだそうだ。でも石と石のあいだに隙間がいっぱいあるから、何も固定していなくても倒れないようだ。なんか背丈の低い家々の様子は沖縄を思い出した。
「三多」の一つは「石」だけど、本当にいっぱいあってそこらじゅうに石垣があった。その石垣と石垣のあいだの細い小道を見ると「車を止めてちょっと散歩したい」という衝動にかられた。韓国ドラマで見る田舎のシーンに良く似た風景がたまにあった。途中カラフルな屋根がたくさんある街を通過した。アンさんはなんて言っていただろうか。次回来ることがあったらチェジュ市内でなくてこういう田舎に泊まりたいと思った。