初心者のための登山とキャンプ入門

朝日連峰縦走日記 ④

朝日岳縦走登山の写真
石井スポーツ 登山靴の選び方

鳥原小屋から大朝日岳。アブはきらいだよー

8月11日。朝は例の3人がガサガサし始めて、つられて起きた。ご飯は昨日作ったスープを温めて食べるだけなのに出発したのは5:45だった。煮込んだハーブ入りのコンソメスープは、山らしくないおしゃれな味がしておいしかった。みんなが外に出て朝日を見ながら食べていたので私たちも外に出た。寒くも無く快適で、雲海が足元に広がっていた。南の方角に飯豊連峰が見えるとか、そんな話をしていた。歯磨きをしたりずいぶんとのんびりした。小屋の前で管理人さんも入ってもらって集合写真を撮り、出発前に挨拶をしたら、何度目かの「どうぞ出発前に無事故のお参りしていってください」がきた。これまでは「はぁい」と適当に答えていたが、今度は神社のすぐ横で管理人さんが見守る中、という感じだった。なんとなくみんな目をそらしてうやむやにしようとしてたら見かねた北尾君が神社の前に行ってパンパンと手を叩いていたらしい。神社の死角になって私は後で知ったけど、超ウケた。邪宗の輩に降ったと北尾君は言われていた。

湿原にはいろんな植物があってきれいだった。昨日からこのあたりにかけては、たしか、イワテトウキをたくさん見た。金山沢ではミヤマシシウドも見たかな。あとは、ウメバチソウも見た気がする。ミヤマカラマツは北尾君が写真を撮っていた。ヤマハハコもいつからかたくさん見た。オニアザミは入山からずっとあった。紫色のエゾアジサイも見たかな。アブもまた気になり始めた。

約30分後の6:15に鳥原山の三角点についたので私と沢子は10分ほど休憩をとった。北尾君たちがいないので不思議に思ったら少し進んだ鳥原山展望台で待っていたらしい。そこからは2時間後の小朝日岳で待ち合わせすることにして別々に行った。遠くには今日着くはずの大朝日小屋やY字雪渓が見えた。この日も上ったり下ったりだから、忠実に1時間歩いて休憩にした。ただ休憩が毎回15分から20分とやや長めだった。暑くって、まず水を飲んで食べたらまた出発前に水を飲んで、というかんじだった。だけど、事前に見た誰かの山行記録でこのあたりの報告として「どうにかなってしまいそうなくらい暑い」とあったので、覚悟をしておいた分、精神的な苦痛は無かった。

鳥原山は樹林の中をだいぶ下って、小朝日の登りになると花崗岩がぽろぽろと崩れる山肌が出てきた。この頃にはアブと蜂が、歩いていても休んでいても体の周りをグルグル回って沢子がそのたびに「イヤー」と叫んでいた。私は何もしなければ刺されないだろうと思っていたけど、7:30の休憩のときに背中がチクっとすると思ったらそこにアブが止まっていて、その頃からすごくアブがイヤになった。途中で会った人がアブが急にいなくなったとかさっきは多かったとか話してきたのでアブは刺すのかと聞いたところ「蚊といっしょでしょ?」と言っていた。沢子が「辻さん屋久島でもアブに刺されていましたよね」って言っていたけど全く思い出せなかった。

8:15小朝日岳についた。快晴でとにかく暑かった。みんなでタイマーを使って集合写真を撮った。あと2時間弱で今日泊る大朝日小屋で、着いてから小屋の先の金玉水でそうめんをする予定だった。朝ごはんも4時ごろ食べていることだし、昼ごはんと夜ご飯がくっつくとお腹が一杯で食べれなくなるからっていうこともあり、次の銀玉水の水場でそうめんをすることになった。小朝日岳から銀玉水まではちょうど1時間と予測したがきっと1時間15分くらいあったのだろう。あそこが水場だろうと遠目から見ていた最低鞍部を過ぎて北尾君たちが雪渓のあたりまで登っていったときガックリ来て休憩をとった。歩き出して10分で銀玉水に着いた。

いざ、朝日連峰の水を堪能しましょう

朝日連峰の水場には金玉水とか銀玉水とか碧玉水とか、名前がついている。碧玉水に行ったのは結局北尾君だけで、北尾君曰く雪渓から流れていたらしいけど、銀玉水と金玉水は稜線のすぐ脇にあるのにすごく冷たくておいしい湧水である。木なんか生えていない、まあるっこい稜線のすぐ下に出ているのだ。こういうのは他の山では見たことがない。私は深い森があるから東北の山は水がおいしいのだと思っていたから意外に思った。
エアリアのガイドブックによると、銀玉水が朝日連峰随一の味らしい。行きの車で朽木さんに聞いたら、「最近は評判が良くない」と言っていた。その言い方がなんだかすごくおもしろかった。鳥原小屋の管理人さんにこの事を伝えると、「どうなんでしょうねぇ、結局おいしいかどうかは温度で感じることが多いから」って言っていた。

私たちが着くまでの間、北尾君は雪渓に行ってビールを埋めて冷やしていたらしい。どおりで雪渓付近をウロウロするすがたが見えたと思ったんだ。
私は銀玉水に近づく足を運びながら、二人がヘンな気を利かせてすでにそうめんを茹でていたらどうしようかと気になった。わたしはそうめんのために大きな鍋を持ってきているしメインのボンベやコンロは私が持っていたものの、個人装備で少し大きめの食器とガスとボンベをクリケンも持っていたからだ。そうめんは、私のやり方なしではぜったいにうまくいかないっていう確信があった。

10:10。銀玉水に着くと2人は水場には人が水を汲みに来るから稜線上でやろうと言ったが、私は自分の目で確認しようと水場に向かった。「徒歩1分」とエアリアにあったのに、10m下にあった。狭いとはいえ、絶対にここがいいと言い張って鍋など一式を取に行った。まず水を飲んでみると冷たくてすごくおいしかったから大量に飲んだ。これまでは、おいしかったけど沢の水だったのだ。北尾君とクリケンはビールを飲んだ。ギンギンに冷えていてすごくおいしいらしかった。「今までで飲んだうち、5本の指に入るくらいうまい」と北尾君が言っていた。沢子は酔っ払って歩けなくなるからと飲むのをやめ、一口だけもらっていた。北尾君は日焼と酔いとむくみで別人の顔になっていた。目の上下にはたくさんしわが入っていて面白かったので写真を撮った。

水量は、そんなに多くはなかったからじゃぁじゃぁとそうめんを冷やすわけには行かなかった。また、度々人が水を汲みに来るのでそれを待つ時間はそうめんを伸びさせる危険があった。そのため、ありったけのポリタンや鍋に冷たい水を汲んでおいて、大きな鍋に目一杯のお湯を沸かしゴボゴボとそうめんを茹でた。北尾君にはそうめんを冷やすために雪渓の雪をとりにいってもらった。茹で時間は1分と書いてあったけど、沢子が念入りに味見しながら約3分茹でた。鍋のフタと、クリケンのヤカンの網をこぼれ落ちたそうめん受けに使ってうまい具合にお湯をこぼした。そこにすかさず溜めておいた水を一気に加え、麺を冷やす。手で持てるくらいに冷めたら麺を別の鍋に移し冷水の中で揉んで冷ます。たまに雪を加えて冷やす。そんな事を繰り返すうちに麺は冷たく引き締まった。フライパンの中に雪を敷いてビニールをかぶせた上に麺をのせて、そうめんは出来上がった。みんな私のこだわりにめんどくさがっていた節もあったけど大絶賛で食べた。持ってきた揚げ玉もわかめも乾燥ねぎもおいしかった。残りの半分の麺を茹でることにした。酔ってヘロヘロになっている北尾君に無理を言ってまた雪渓に雪を取りにいってもらった。よく考えたらべつにそこまで必要でもなかった。今度もうまく行ったけどちょっと冷やしが甘かったのが悔やまれた。でもすっごくおいしかった。酔って動きたくない男2人は小屋に着いたあと金玉水の水場に行きたくないからと、めいっぱい水を汲んだ。そんなこんなで私たちは銀玉水で1時間半近く過ごした。

11:30銀玉水出発。ここから小屋までは広いまあるっこい尾根で、先に発った2人の姿が良く見えた。階段状に道が整備されていた。北尾君は今にも倒れそうな足取りで、グニャグニャにパッキングされたザックを背負ってとぼとぼと歩いていた。沢子がビールを飲まなかったのは大正解らしかった。

この頃から、ニッコウキスゲがたくさん出てマツムシソウも豪快に咲き出し、ミヤマリンドウも増えた。たしか紫っぽいハクサンフウロやクルマユリ、ヨツバシオガマ、アオノツガザクラもあった。あとちょっと枯れかけていたけどヒナマウスユキソウもいつからか咲いていた。

大朝日小屋での長い午後に夏を満喫

12時過ぎ、大朝日小屋に着いた。時間を書き忘れたけど予定通りだ。小屋の回りはお花畑だった。ハクサントリカブトやタカネナデシコもきれいだった。
管理人さんは愛想のよい、元気な肌のきれいな健康的なおじいさんだった。全体感としてはちびまるこのおじいちゃんのような背格好かもしれない。私は事前に見たWebで「大正生まれの口うるさいけど話し好きな人」「お手製のカッパやスパッツをはいている」などど書かれていた名物小屋番かと思い、「インターネットにあった大正生まれの・・・」と言ったら「私は昭和の二桁生まれですけどね」と言っていた。どうやらその名物小屋番は2日前に、2ヶ月ぶりに山を下りたとの事だった。代わりにこのおじいちゃんが来ているらしいのだが、72歳なのに週に3回くらい登ってくるらしい。この方も話し好きの方だった。82歳の方に会えなくて残念だったなと思っていたけど、下りてから朽木さんに聞いたところとても評判が悪いらしい。なんでも、混んでいるときにワンカップなどの賄賂を渡した人にはよい扱いをするなどのえこひいきがすごく、山は良かったのに小屋で印象を悪くした人が何人もいるというのだ。この時はそんなことは知らなかったけど、とにかくこのおじいちゃんはいい感じだった。でも昨日獲ったきのこを見せて尋ねたところ「わかんないけど食べない方がいいんじゃないのー」と言っていた。私たちはきのこをあきらめることにした。

2階の部屋を割り当てられたとの事だった。昨日の半分くらいのスペース、ちょうどマットを4枚ピッチリ並べたスペースだ。しかし横にはザックを入れる棚があって便利そうだった。まだ2階に来ている人はいなかった。男2人は寝ていると言うので、私と沢子は金玉水に行ってTシャツの洗濯と体を拭くために出かけることにした。小屋の前のひなたにザックの背中をかざして干しておいて、小屋のサンダルを借りていくことにした。小屋のサンダルは右と右とかぼろっぼろなものとか、あっても靴下では履けないものが多くてその中から一番いいゴムぞうりを私は選んだ。次にぞうりを仮に行った沢子が右右を履いてきて超わらった。やっぱり選んだけどいいものが無かったと言うので、クリケンのクロックスを履いていくことにした。スーパーの袋に新しいTシャツとレーションとタオルとペットボトルと日焼け止めときのこと・・・どんだけ水場で長居するんだっていうくらいの荷物を持ってサンダルで出かけた。7分と言う水場は絶対にそれ以上あると思われた。高低差で70mくらいは下る。水場には山形県の高校の山岳部と他にも数人いて、私たちはみんながいなくなるまで待った。水場は北に向かう広くてまるい稜線の東側にあって付近には雪田がいくつかある。でも水は雪田からじゃなくて湧いていた。触ってみるとすごく冷たかった。汗をかいているうちに頭を洗った。沢子がペットボトルにあらかじめ持っていたぬるい水を掛けてくれたので頭が痛くならずに洗えた。すごくさっぱりした。水場は小屋からも遠く丸見えだったけど人も少なかったし、沢子は外人脱ぎをすると言ってTシャツを脱いでタオルで体を拭き始めた。きもちいいーといってズボンも半分脱いで腰周りを拭いていた。沢子にぜったいやったほうがいいと勧められて私も真似して拭いた。すごくさっぱりした。沢子はビールを冷やし、Tシャツを洗った。私はこっそり湿原の中にきのこを捨てに行った。ダクロンのTシャツはすぐに乾き始めた。足を水に浸したら痛いくらいに冷たくて一瞬しかつけられなかった。レーションを食べ、水を何回も飲み、痛いくらいの日差しを受けながら傘を持ってくれば良かったとかいって、たぶん2時間近く水場ですごした。水場からは明日歩いていく方の道も見えたけど、一番は、すぐ目の前に広がる大朝日小屋と北側のゆるやかで広い斜面がすごく美しかった。雪田があり、真緑の斜面のなかにぽつぽつと紫やオレンジや白の花がある。木が無いからすごくなめらかでまあるい形の山におもちゃのような小屋が乗っかっていて青空のなかに頂上が続いている。ちょうど持っていった高山植物の本の表紙とまったく同じ景色が広がっていた。風が吹くと、笹や柔らかい細い草に覆われた斜面が揺れて、まるで外国みたいだった。つらい日差しを我慢しながらずっと景色を眺めたりちょっと眠ったりしながら、数組が水を汲みに来て去っていくのを見送った。小屋のおじいさんの言ったとおり、水場の周りにはチングルマが咲いていた。

汗をかかないようにトボトボと小屋に戻る途中に、3回目の山岳部員とすれ違った。米を洗いに行くのだという。新しいTシャツにしたのに蜂やアブが近づいて来てはグルグルとまとわりついてやがて離れていく。顔の近くでブンブンされていい加減頭に来た頃に「イヤー」といった沢子の首根っこのあたりに大きめの蜂がアブが入っていた。クビと帽子の柄の間に入ったと思ったらなんと刺したらしく沢子が大騒ぎして走って登っていった。近づいて見てみると首には直径1cmくらいの赤い丸が出来ていて中心には穴が開いていた。しばらくはどうなるのかとビクビクしたけど薬を塗っていたら次の日にはなんともなくなったらしく良かった。サンダルで歩くのは足の裏が痛くなって、さっきから見える小屋はすごく遠く感じた。

小屋に着くと夕方みたいな陽になっていた。外にはだいぶ人も増えていて、小屋の中にもたくさんいた。山岳部員はテントを張っていた。テントの場合は500円らしい。クリケンたちが起きていて迎えてくれた。このままこの良いサンダルをキープしたまま頂上をピストンしようということにして、クリケンにサンダルの確保をお願いして3人で2階に上がった。片づけやらなんだかんだやり始めてのんびりして私たちはすっかり忘れて楽しんでいたら、北尾君が「クリケンが下でサンダル確保してるよ」と思い出させてくれた。そうだった、どうしよういつピストンしようと再度相談し、もうちょっと陽が弱くなった夕方に行くことにした。「じゃあクリケンを呼んで来る」と北尾君が言って「クリケン、ちゃんと下駄箱のところでスタンバッてたよ」と2人で戻ってきた。かわいそうな事をした。

2階ではもう寝ている人もいた。私たちはなぜかおもむろにタピオカミルクを作り始めた。夜はずいぶんと長いつもりでいたんだと思う。タピオカは、茹でるのに水を1Lも必要とし、また高山だから茹でる時間も長く芯の残し具合も難しく蒸らしたりとずいぶんと時間がかかった。この時も沢子がクリケンのヤカンの網を使って、透明になってお湯にまぎれたタピオカを落とさないように器用に水切りをしたりとせっせと働いていた。ココナッツミルクはすごく山向きだと思ったけどタピオカはやっぱり面倒だとわかった。タピオカは頂上から戻るまで冷やすことにした。

切干大根をじっくり煮込んで頂上もピストンしようと思ったら急いだ方がいい気がしてきてにわかに焦りながら料理を始めた。浸しておいた切干大根をラードで炒め干しシイタケを水で戻し人参と油揚げを千切りした。そうめんで使いすぎためんつゆが足りるか微妙だったけど、澄まし汁に使う分を全部味付けにつかったらちょうど良かった。最近テレビで米スター(マイスター)が米を冷蔵庫で3時間水に浸すというのを見てから、山でも浸す時間は長ければ長い方がいいんじゃないかと思って昨日もこの日もそうした(そのせいか水がおいしいせいか分からないけど、米は全部うまく炊けた)。暗い中頂上に行ったら文句を言われるかも知れないと思い、米を炊くのは後にして頂上に行くことにした。切干大根は味が染み込むから完成させておいた。

外は寒くは無かったけどだいぶ涼しくなっていた。日が傾いて一段と夕方に近づいた感じだった。ご飯を食べ終えたと思われる山岳部員も同時に登り始めたが彼らは途中から走って行った。なんかみんな清潔っぽい感じのおしゃれな雰囲気の子だった。上る道の背中側には明日歩く道のりが延々と続いていた。明日はその、延々の稜線を味わうのがテーマだからいいんだけど。右手方向には山並みが幾重にも、本当にちょっと数えたら9つくらい重なっていた。どれも山際が濃く山の端が薄くなっているからまるで水墨画の世界だった。私は途中で切断されたハイマツの枝を拾った。沢子は持って帰ってはダメだと行っていた。知らないうちに北尾君がその姿をムービーに撮っていた。

頂上までは10分程度で着いたと思う。360度の展望だった。飯豊連峰や月山、鳥海山、蔵王などが遠くに見えたらしい。私は何度か聞いたけど忘れてしまった。頂上で初めて以東岳をはっきりと確認した。直前の峰から250m近くも登り、大きな谷を挟んで尾根を左右に広げる以東岳は、高いだけではなくすごーく大きく見えてすこしおどろいた。他の人の山行記録にあったけど、「明日あの頂上に行くことは不可能に思われた」、という表現がピタッときた。だけど昔のように絶望的な気分には全くならなかった。なんていうか、1時間歩いて10分休む、これを繰り返していればどんなに長居距離でもそれほど遅れずにたどり着ける、という確信があった。なんか以前から分かっていたことだけど、改めて考えてみるとこれはすごい哲学を発見した気がして、私はこの山行中3回くらい沢子に話した気がする。沢子はピンと来ずにきっと聞いていたことだろう。

頂上で北尾君とクリケンがジャンプして写真を撮っていた。よくあるやつだろうと思って見てみたら、なんかすっごい写真が撮れていた。なんでか分からないけど、ちょっとジャンプしてタイミングを合わせると、ものすごく空に向かって飛んでいるような写真が撮れるのだ。私も北尾君と飛んでみたら1秒間も飛べなくて20cmくらい飛んですぐ着地した。でも撮れた写真を見てみたら、私は50cmくらい、北尾君は2m以上飛んでいるように見えた。来年の年賀状はこれにしようとすぐに決めた。イヤがる沢子を無理やり誘って3人で撮ったやつもなかなかうまく取れた。とてもたのしかった。
下るとき山岳部の顧問の先生と一緒になったので、部員がたくさんいて良いですねと話しかけると、以前より減ったけどまだなんとかね、と言っていた。私が東京の母校の山岳部は来年の3月になくなると話したら、たしか、東京の方だったらアルプスとか近くて良いですね、と言っていた。私が東北の山を褒めると、でも地味ですからね、なんていって微妙に盛り上がらない会話をしながら下った。

小屋生活にペースつかめずじまい

小屋に着いて2階に上がると、多くの人は寝に入っていた。管理人さんが居たので「消灯は何時ですか」と聞くと、7時半には寝てもらっているとのことだった。ガソリンが高いので電気はつけないことも断っていた。7時半ならまだ1時間以上あるからと思い、安心して米を炊いた。でも炊き上がって食べようとする頃にはほとんどの人がシュラフに入っていて、私たちはろうそくを灯しながら黙って食べた。まずはタピオカを、小声で「おいしいね、おいしいね」といって。米もうまく炊けて、切干大根は量も味もとてもよく、特にシイタケの戻し汁を使ったからシイタケの風味がすごく良かった。あとは梅干とお澄ましに使うはずだったとろろ昆布、それから1缶だけの秋刀魚の蒲焼。「まさに和定食ですね」といって喜んでくれた。私も予想以上にバランスも良いと思った。でも食器を下に置く音すら気をつけながら、「怒られる怒られる」と恐縮して食べていると北尾君が、みんなが勝手に寝ているからといって遠慮すること無いんだ、と言わんばかりに「だいじょうぶだよ」って言っていた。途中日の入りで空の色がきれいになって沢子が「超きれい~」と甲高い声で褒めたからか分からないけどみんなごそごそと起き出して来て小屋の中から夕日を見ていた。もっとゆっくりざわざわとやっ欲しかったけど、みんなちょっと見てまた寝袋に入った。私たちは消灯の7時半には食事も片付けも終っていたからよかった。

鳥原小屋もそうだったけど、ここの小屋でも調理用のステンレスの板を用意してくれていてとても親切だ。小屋にとってもゴザを汚されたりすることも少なくいいんだろうけど、でもどっちかっていうと登山者の便利さのためだろう。トイレのきれいさもそうだけど、朝日連峰の避難小屋にも道にもそういった心配りが節々で感じた。沢子もなんかも話のとき「愛を感じますよ~」と大絶賛していた。なんだろう、この、無償の親切みたいなもの。他の山では感じたことがないんだよな。東北の山をメジャーにしたいっていう狙いとか、前に言った避難小屋間の人気争いとか、登山客を増やして収益を町にもたらすとか、なんかそういった理由を探ってしまう。でもまだ確信は無いけど、もしかしてそういった無償の親切こそが東北なのかもしれない。代行の朽木さんを見て今そう思ったりする。

まぁでも、大朝日小屋はみんな一致の感想として、居心地が悪かった。なんていうか、小屋じゃなくて周りの登山者に、だ。まずはクリケンも不快を露にしたビールおやじ。私たちが彼らと会ったのは金玉水の水場でだ。洗ったTシャツを地面に広げて乾かしながら休んでいる私たちに「いいところで休んでいるね~」なんて話しかけてきた。明日はどこへ行くの?なんて聞くので以東小屋へ行くと答えると、即座に、それは無理だろう的な事を言った。もう片方のおじさんに「なんで、僕たちも来たじゃない」と制されていた(このおじさんたち2人組みについては歩行中の話題にしすぎて、いったい何が本当だったか少し分からなくなった感もあるけど)仲間が2人既に小屋で寝ている、という話になったとき、どんな仲間か聞かれ、高校の山岳部の仲間だと答えると「じゃぁベテランだ」と態度を変えて、私たちが以東岳に行くことを認めた風な様子だった。酒の話になって大朝日小屋では売っていないと伝えると、なんとか小屋では500mlがいくらで、なんとか小屋では350mlがいくらで・・・と細かく説明した後、これが楽しみで登っているのに酒がないんじゃぁなぁ~って言っていた。私はなんか引っかかったけどしばらくしてから「自分で持ってくればいいじゃん」と思った。私たちが水場から帰って小屋にたどり着いた時おじさんの1人は「今だから言うけど実は水場であんたたちが休んでいなかったらTシャツを脱いで上半身裸になって体を拭きたかったんだ。でもずっと居たから都合悪いところに居るなと思ってあきらめたんだ」「セクハラって言われたら困っちゃうからなー」などと言い出した。すると沢子が「そうなんですかーだったら言ってくれれば目つぶっといたのにー」とか言ったら「そうかぁ」なんていって会話は終って、おじさん同士で会社でセクハラ扱いされた話なんで盛り上がりはじめた。「別に気にしないで脱げばいいじゃんねぇ」と言ったら「どんだけ自分の裸に自信あるんだっつーの!」と沢子が一蹴したのがウケた。

クリケンが言うにはその2人組みは小屋に入るなり「ビールないの?」と管理人さんに詰め寄り無いと言うと「ビールも置いていないのか」と文句をつけるように言っていたらしい。それで近くに居た人が自分が持ってきた分を分けてあげたらしいが、その一連の様子を見ていたクリケンはきっとたいそう頭に来たんだろう。

とにかくそそくさと居心地悪く片付けてシュラフの準備をした後、外に星を見に行こうと歯ブラシと水とヘッドランプを持って外に出た。空はガスっていて星は東京の2~3倍見える程度に思われた。日本海の漁火が見えると聞いたあたりは、町の光のようにぼんやりと明るかった。山形市の町も見えたし全体的に、水平方向は特に明るかった。歯磨きも終ってしまって風もあったから寒さにも耐えられず、一度小屋の中の玄関に腰掛けてトイレに行きつつ15分くらい空が暗くなるのを待つことにした。他の3人は「いっせーのーせ」で親指を出すゲームをしていて、抑えていても笑い声がでかくて1階で寝ている人に注意されるのは時間の問題と思われたので、また外に出た。やっぱり風があって寒かったので寝袋持ってくれば良かったなぁと言ったら「寝袋いいですね」と沢子が言って、じゃんけんで負けた人がみんなの寝袋を取に行くことになった。沢子がアッサリ負けて、一人じゃ大変だからと北尾君もついていってみんなの分を持ってきた。段差に腰を掛けて寝転がって見ていると流れていくガスに隠れたり見えたりした。だんだんガスが濃くなってきたなと思うと沢子が眠いから戻るといい、眠くなった機を逃さんとするようにさっさと戻った。北尾君とクリケンが北極星がどこだとか言い合っていた。クリケンのほうが合っているように思った。私たちはしばらく見ていたけどガスが晴れないのであきらめて戻ることにした。

戻ったのは8時半ごろで、私はすぐに寝れた。次に目が覚めたのが10:20。時間が経った感覚が無いけど朝なのかと思って時間を確認したのだった。シュラフに完全に入ると暑いしうまく掛けられないと少し寒い。ちょっと寒さを感じたのをきっかけに鼻が詰まった。枕元においておいたスプレーを静めに何度か探した。でも枕にしていた小物入れはガサガサという音がするビニールでタダでさえうるさいから見つかるまで探すことが出来なかった。溢れてくる鼻水をタオルで拭きながら、仕方がないから口をあけて寝ようと思った。さすがに浅いとはいえだいたいは知らないうちに眠れるから、あまり焦らず考え事をしていた。次第に12時になった。全然眠れなくて1時くらいからは音楽を聴いた。誰かの山行記録で2時に起きる人たちが居ると聞いていたので誰かが起きるだろうと思ったから、この頃には寝る事をあきらめ始めた。4時ごろ寝ていた人たちも居るし。小田和正のアルバムなんかも聞きながらいろんな事を思い出してエッセイを書くように説明したりしていた。頭はますます冴えてきて2時になっても誰も起きなかった。私たちの今日の予定は3時おきの4時半出発だ。以東小屋までは長いから、早朝の薄暗いうちに出て涼しいうちに日の出を見ながら歩いてという日にしたかった。しかし3時になっても誰も起きなかった。私は不思議で不思議でしょうがなくて、みんなで一緒に寝坊するんじゃないかとかいろいろ考えてしまった。ウォークマンの時間は12:50を指していた。まさかさっきまで合っていたはずの時計が狂っていたんじゃないかとラジオを聞いたらNHKで元気一杯オリンピックの結果報告をしていた。3時半じゃないかもしれないと期待を膨らませつつ携帯を開いたら、時計の時間が合っていることがわかった。もう許容範囲だろうと思って3:50におきてヘッデンを点けて体を起こした。近くに居た単独行の2人がそれぞれ静かに部屋を出て行った。日の出を見に行ったのかもしれない。みんながそれにつられて起きることは無く4時を回った。誰かのアラームも鳴った。もういいだろうと思い4時を過ぎてからシュラフをしまったりし始めた。するとみんな一気に起きて片付けて食事を始め5時には出て行った。私たちも簡単なもちラーメンで相当急いで準備したけど出発は後のほうになった。今思えば、遠慮しないで3時半に起きればよかった。みんなが4時おき5時出発と知っていれば安心できたのにな。沢子も4時から寝る人たちのリズムをとっても不思議に思って理解に苦しんでいた。