初心者のための登山とキャンプ入門

憧れのナムチェ・バザールへ

ネパール ナムチェ

1998年6月、22歳の女子2人のエベレスト街道トレッキング日記、2~3日目。憧れの地ナムチェには映画館、散髪屋やバザールなど山奥とは思えない景色が広がっていた。都会に来て喜ぶミンマと3人、ボール蹴りやお絵かきをしてほのぼのとした一時を楽しんだ。

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憧れのナムチェバザールへ

2日目の6月5日。川の音が聞こえ、とても気持ちのいい朝だった。

エベレスト周辺で一番有名な地名は”ナムチェ”じゃないだろうか。日本の登山用品とかにも名前が付けられていた気がする。だからエベレスト街道を知る前から、”カトマンズ”と同じくらいその名前を耳にしていた。今日まさに、そこに足を踏み入れるなんてとても不思議な気分だった。

7時半ころに出発する。30分もしないうちにモンジョの町を通り過ぎた。8時過ぎにはチェックポストを通って入山料を支払う。ミンマは通り過ぎる町々の家を訪ねチーズとバターを売る。

Josaleの町を通る頃には真正面にクンビラ山が見えた。シェルパ族の神の山らしい。その後、ゴーキョから流れてくる川とエベレスト方面からの流れてくる川の合流地点で休憩してまもなく、ローツェなどの白く荒々しい山が尾根の間にたまに見え隠れし始めた。そして、10:40には初めてエベレストが見えた。とうとう実物を見てしまった。山と山の間にチラッと見えるだけでまだとても小さいんだけど、このあたりの木が生えた山とは全然別物な感じだ。

川の合流地点とミンマ

道は砂っぽい上り坂が延々と続く。その中を大量のヤクのフンを踏まないようによけながら淡々と登っていく。いろんな人がバザーに向けてか、荷物を運んで登っている。

一本立てるポーターたち
エベレスト街道 チベタン少年
エベレスト街道 チベタン

そんなすばらしい環境の中なのに、私はだんだんイライラしてきた。

いつものことなんだけど、少数人数で長いこと居るとだんだん理由もなくイライラしてくる。相手の行動の何もかもに腹が立ってきたりして。縦走の登山中とか、海外旅行とかで、よくそうなる。

この時も再会してからもう6日間、喋る人といえばゆかりちゃんしかいない。なんだか意味もなくストレスが溜まってきた。こういう状態になった時はひたすら無言に徹する。けどやはり不機嫌は顔に出る。それを察してかゆかりちゃんも私に喋りかけるのをやめた。
そしてゆかりちゃんとミンマはネパール語で楽しくおしゃべりをし続けながら坂を登り続けた。滅多に歌を歌わないゆかりちゃんだったけど、ミンマといっしょにネパールの歌を歌っていた。「ラリーグラス♪」という感じの歌だった。ついにはゆかりちゃんは私に通訳をするのをやめた。

黙々と理由のない怒りを押しこめて登り続けると、12時頃にナムチェ・バザールのゲートが迎えてくれた。道沿いのたくさんの家を通り過ぎると、12:30、とうとうナムチェに着いた。

ナムチェの街

標高は3440m。

脈拍はゆかりちゃん76回、私は90回。だいぶ差が着いた。やはり標高1600mのカトマンズで生活しているゆかりちゃんの方が高度順応できているんだろうか。

バザーとお寺と映画館

チェックインを済ますとバザールに出かけた。バザールは驚くほど小さく、服とかクッキーとかビールなどを売っていた。服や靴にはわかりやすい偽物も多く、「メイド イン ジャパンよ!」と声をかけてきた。
宿の周辺にもたくさんの店があり、ゆかりちゃんは一人でフィルムを買いに行ったついでにピアスを買って帰ってきた。私はついついキットカットやスニッカーズを買ってお金を浪費してしまう。ベッド代(宿泊代)が20円なのにこれらの輸入品のお菓子は普通に100円くらいした。

うろうろしたあと宿に戻ると、やがて散髪を終えたミンマがやってきた。ミンマにとってはナムチェとは物を売る場所であるだけではなく、自分の村には無いものやいろんな用事をすます、そういう場所であるらしい。

時間もたくさんあったのでお寺も見に行った。ネパールのお土産のいろんなものに「ブッダの目」が書いてあるけど、この塔にも書いてあった。塔に目が書いてあるだけで、塔がアンパンマンの中にいそうなキャラクラーに見えてかわいくなる。お金を入れて回すと功徳があるという細長い筒もあって、ゆかりちゃんは1ルピー、ミンマは10ルピーを入れていた。本堂にはお経本のようなものが箱に入って置いてあって、中にいた女の子にお願いして見学させてもらった。

宿に戻ってからは、前の日もこの後も宿の前の庭でゴムボールで遊んだ。誰が持っていたのか思えていないけど、ゆかりちゃんが持ってきているはずもないから、ミンマがチーズとバターのカゴの下に入れていたんだろうか。しかしボール遊びはどんなときでも楽しい。言葉も要らないし。ミンマともしゃべれる気がしてくる。スポーツの交流ってこういうことなんだろうか。この時も汗をたくさんかいてスカッと完全燃焼して気持ちよかった。

19時からは映画館に映画を見に行った。どんなのだったかというと、高校生の文化祭のクラスの出し物のようなもの。映写機のようなもので写す。内容ははネパール映画で、どういった映画かというと、完全にインド映画のマネだ。ネパールに来て気づいたことだけど、日本にとってアメリカが文化をマネする対象であるように、ネパールにとってのマネする相手はインドであるようだ。
たとえば映画で考えてみれば分かりやすいように、日本ではハリウッドやディズニーなどの作品をいち早く入手したり、アメリカの流行を逐一ウォッチしている。音楽もそうかな。「イヤ、特にアメリカっていう訳でもなくて、世界中の文化に興味があるんじゃない?」とも一瞬思うけれど、意外とぜんぜんそうじゃない。オーストリアで流行っている物なんてまったく日本のテレビに出ない。他の国についてテレビで取り上げられて知っていることって、実はごく一部なんだ。
ネパールが関心を持っている文化というかハヤリものっていうのは、アメリカでも日本でもなくインドだったということは大発見だった。

そのナムチェの映画館は、暗い部屋に板で席が作ってあって、子供も女の子も来ていた。そしてみんな驚くほどのめり込んで見ていた。「ファイティング!」とか叫んで、インド映画定番のダンスシーンでは皆ノリノリで、特にミンマは大興奮だった。それでも映写機は、電力不足か機械の不具合か、たびたび停電になって消えた。
ストーリーはネパール語がわからなくてもわかっちゃうくらい、シンプルな勧善懲悪もの。たしか、子供の頃にどうしようもない事情で捨てられた子供と母親の母子愛の話と悪い奴が出てきて悪事を企てる感じだった。その悪者が登場したり暗躍したりするシーンでは、日本の時代劇なみに分かりやすい効果音がつけられていた。そしてお決まりのダンスシーンではヒーローも悪者も一緒にダンスする。これを見て、ここれまで私が下に見てきたインド映画がいかにクオリティーが高いかということを知った。特に日本で上映されるインド映画なんて、インド映画のエースだったんだろう。

そのつまらない映画は2時間以上続いたらしい。私は飽きて1時間ほどで出てきてしまった。そしてゆかりちゃんが戻ってきてからは夕食を食べていなかったことに気づき、2人でベッドの上でさきイカを食べてから寝た。

ナムチェでお絵かきそしてミンマとのお別れ

3日目の6月6日は日曜日。

朝6時に起きるとヒマラヤがとても綺麗に見えて二人で絶叫する。

今日は高度順応も兼ねてもう一日ナムチェで過ごし、明日先へ進むことになった。とりあえずミルクティー(チヤ)を飲んで、そのあとバザールへ向かった。日本だと喫茶店でとりあえず紅茶を飲むってこともちょっと考えてから、というふうになるけど物価が安いので気軽に何度でもお茶ができてしまう。ありがたい。

日曜のバザールは昨日見た土曜のよりも大きかった。

ナムチェのバザール

あまりに雰囲気のありすぎるチベタンドレスをまとった人もいた。この写真はゆかりちゃんを写すフリをして撮ったんだけど、気軽に写真を頼めるようなフレンドリーさでもない。トレッキング客にも見慣れているんだろう。

ナムチェ チベタンドレスの女性

暇な私たちはミンマの売る横でチーズを食べるマネをして、うまいうまいと言って客寄せをしたりした。

チーズとバターを売るミンマと私

私たちは朝食を食べに一度宿へ戻り、再びバザールへ行くとなんとミンマのチーズとバターは早々に完売していた。

そこで3人で丘の上の方に散歩することにした。そこは“ソルクーンブ・ナショナル・パーク”だと日記には書いてある。そこからは山がとても綺麗に見えて、私達はお絵かき大会をすることにした。

ナムチェで書いたミンマの絵

他にも、ミンマはとても味のある絵を書いてくれた。絵を描くことがとても好きらしい。やっぱり絵も、言葉がわからなくてもなにか通じ合えるものがある。アートってすばらしい。

ナムチェで書いたミンマの絵
ナムチェで書いたミンマの絵

イヤしかし、こうして時間があるとふだんは書かない絵を書いたりしていい。私も絵を書いた。

ナムチェで書いた私の絵

そしてミンマは今日はナムチェへ泊まらずにもうすぐ下るという。
皆で再びバザールを見つつウロウロして宿へ戻ると、ミンマは宿にやってきて私達に石のペンダントトップを2づつくれた。「またネパールへ来た時にわかるように」と。お返しにゆかりちゃんは日本の登山で使っていたシルバのコンパスをあげていた。

とても悲しかったので町の端っこのゲートまで見送りに行った。そして私達がまたトレッキングを終えて戻ってくる6月21日に、ルクラで再会しようと約束してミンマは行ってしまった。
思えばたった2日間のことなんだけど、別れはとても寂しかった。たくさんおしゃべりしたゆかりちゃんは私の何倍何倍もショックを受けていた。イライラもほとんどなくなりつつあった私に代わって、今度はゆかりちゃんが無口になってしまった。

宿に戻ると昼食をとり、私達は近くの岩の上でそれぞれに時間を過ごした。ゆかりちゃんは日記を書き、私は地球の歩き方から切り抜いてきたネパール語を勉強した。ネパール語はとても親しみやすいと感じていた。きっとドイツ語やフランス語などよりも日本人にとっては発音がややこしくないのではと思う。ゆかりちゃんは、自分がネパールに留学に来た時以上に単語を知っているね、と驚いていた。

夜は、宿のおじさんと話した。ラクバゲルブさんというそのおじさんはエベレストへ登頂したことがあるらしい。1988年の日本とネパールと中国の合同での登頂にも参加していたらしい。その前には日本の佐伯友邦さんという北アルプスの剱沢小屋のご主人の日本登山隊とも登っているなどと本や写真を見せてくれた。とても楽しそうに話してくれた。

部屋に戻ってからも10時頃までおしゃべりして、10:30に寝た。