初心者のための登山とキャンプ入門

山の中で離れ離れ、イエティと死んだ子牛

エベレスト街道 ペリチェ手前

1998年6月、22歳の女子2人のエベレスト街道トレッキング日記、4~5日目。タンボチェへの途中、森の中で1時間半も離れ離れになった2人。やっとたどり着いたタンボチェでは目の前で起こった突然の子牛の死とイエティの話。そしていよいよ景色も荒々しく変化していく。

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道を間違えて、離ればなれになる

4日目、6月7日。今日はタンボチェへ向かう。天気は晴れたり曇ったりであまり山は見えない。

私達の旅にあったアクシデントの一つはこの日に起こった。

8時過ぎにナムチェ・バザールの宿を出発した。ずっとウネウネのなだらかな登りで、小さなお花がとてもきれいだ。
一度休憩を挟んで10:30ごろにはキャンジュマの町を通り過ぎた。この辺りは奥多摩のように木々に囲まれた道でとても気持ちよく下れる。途中、道を作っているおじさんから寄付を求められ、10ルピーを渡す。

川を渡り、プンキテンガ(3250m)に着いたのが11:00。そこで30分弱の休憩をとった後、またそれぞれ、思い思いに歩いていた。すると、ふと気がついてみるとずいぶん長いことゆかりちゃんの姿を見ていないことに気がついた。ゆかりちゃんが先を歩いて居たはずなのに。そんなにガンガン一人で先には行ってしまわないだろう。これまでもおしゃべりしたいない間は好き好きに離れて歩いていたりもしたけど、ちょっと離れちゃったら待って顔見てからまた歩き出したりがふつうだったのに。どうして居ないんだろう。
突然私の中で一気にナゾに包まれた。もしかして気づかぬうちに追い抜いていたんだろうか。とりあえず進まずに止まってみたけど、待てども待てどもゆかりちゃんはやって来ない。

たとえ人が居たとしても私は詳しく尋ねることもできないし伝言もできない。ここらへんには電話もない。道はナムチェからかなり森を下ってきていて人気も少ない森の中で見晴らしも良くなく、目印となるものも何もない。こんな場所で会えなくなったら、いったいどうしたらいいんだろう。

長らく待っても来ないので、道に小石で「たえ→」と書いて先に進むことにした。最悪、目的地であるタンボチェで会うということしかできない。もし先に行ったはずのゆかりちゃんが万が一、後でここを通ることがあったら、「ああ、この先に居るんだ」と安心して追い付いてくるはずだ。私は一人で先に進んだ。

その間ゆかりちゃんはどうしていたかというと、間違った道を進んでいた。最後にいっしょに取った休憩のすぐ後、分岐で違う道を行ってしまったようだ。そのまま15分ほど歩いて、追いついてこない私をしばらく待った後に、全然来ないのでそこに荷物を置いて下って様子を見に来てくれたという。
ずいぶん下ったところで出会った薪を背負った女性に日本人の女の子を見なかったかと尋ねると「あっち」とだけ教えてくれ、間違いに気づいたゆかりちゃんは慌ててダッシュで荷物を取りに登り返し、分岐に戻ってきたのが12時過ぎ。 約30分のロスタイムの後に正しい道を歩き出した。

その後ゆかりちゃんは、私が道に小石を並べて作ったサインも発見し、急な上り坂をがんばって超えてゆるやかになったあたりで感動の再会をした。別れてから約1時間半後のことだった。

そして1:45、タンボチェ(3867m)に到着した。

タンボチェでの子牛の死とイエティ

タンボチェは思ったよりも何もない小さな街だった。ロッジが4つあるだけだった。暇つぶしにお寺を見に行ったけど、ただウロウロしていると寒い。チベット仏教の修行僧のような若い少年がたくさんいた。私たちは宿に戻りお茶をしながら暖まって時間をつぶしていた。

衝撃的な事件はこの時に起こった。

宿の前には広い原っぱのようなな庭があり、白い牛と白い子牛が元気よく走り回っていた。私達はなんとなくその様子を見ていた。すると、急にハイジに出てくるユキちゃんサイズの子牛が横たわり、バタバタと足を動かしてもがきだした。
現地の男たちが数人囲み、「パニ、パニ!!!(水)」と大声で叫んで、運ばれてきた水を子牛の口に流し込んだ。子牛は飲み込む力もないようで、男が子牛を持ち上げるとダランと口から水が溢れ出た。男たちは輪になってどうにか助けようと相談していたけど、子牛の足のバタバタはゆっくりになり、やがて動かなくなり、持ち上げた体はゴムのように柔らかくなってあっという間に死んでしまった。

私達はあっけに取られてその様子を見ていた。すごく短い時間だった。生まれて4日目の子牛だったらしい。大きな哺乳類が死んでいく様子を初めてみたので驚いたし、元気に草原を走り回っていたのになぜ急に死んだのか、不思議でしょうがない気持ちで頭がいっぱいになった。こんなふうによくわからないものを見たときは、とりあえずゆかりちゃんという思い出の共有者が居てよかった。それだけがよかった。

その後はロッジの人とさらに不思議な話をした。

ロッジの人にイエティを見たことがあるか、と聞くと、みんな、「ある」という。「昔はよく居た」くらいのノリだ。そして次の町のパンボチェのお寺には、イエティの頭皮があるという。ゆかりちゃんの聞き取りによると、なぜそこに頭皮があるのかは、次の理由だ。

「昔々、パンボチェのラマ僧でとてもえらい人が居て、彼は空を飛ぶこともできたらしい。彼は洞窟で修行をしていた。その時、一人のイエティが彼の身辺のお世話をしていたけど、ある時、そのイエティが亡くなった。それでお寺にそのイエティの頭皮を祀ってある」、ということだ。なるほど、というか、「へぇ~」という感じで聞くしかない。とにかく明日確かめよう。

あとは、アメリカの技術でここタンボチェもナムチェも水力発電で電線は地下に埋められているという話も聞いた。そしてここでは、この旅で唯一日本人の男性に会った。

夕方脈を測ると、ゆかりちゃんは76、私は77。ゆかりちゃんの数は上がったけど、私の方はだいぶ落ち着いてきたようだ。
夜は、ロッジのベッドがたくさん空いていてドミトリーの2段ベッドの上にそれぞれ寝た。天井裏を走るネズミの歩く音と鳴き声がすごくうるさかった。

景色がガゼン変わってくる ペリチェへ

5日目、6月8日。

朝起きると晴れていて、周りの山がとてもきれいに見えた。そして白い山々は確実に近づいて私たちの周りを取り囲んでいた。

脈を測ってみると、ゆかりちゃんは66に戻り、私は73と少し減っていた。ここまではふたりとも体調はまったく問題ない。反対に私などはカトマンズの喧騒の中で下したお腹が、山で日数を重ねるごとに快便に向かっていた。

7:30にタンボチェ(3867m)を出発。富士山の標高を超えたと言っても緯度は低いせいで、ここにはまだまだ植物が豊かにある。日本の森のように潤った道を進んで、ミリンゴの町を8時に通過。その直後に橋を渡るが、急な流れにかかる小さな橋だった。

一度休憩をはさみ、9:30前にパンボチェにつく。3983mだ。2-3軒のロッジがあった。さっそくイエティについて確認すると、イエティの頭皮は8年前に盗まれてしまい、今はないのだという。

10:50にShomareの町を過ぎると、道に岩石が目立つようになってきた。
そして次の町のOrshoに11時過ぎにつき、昼食を取ることにした。ここでの大発見は、ここで食べたフライドポテトはすごく美味しかったということ。

次のTsuroの町からは橋を渡ってペリチェ側に進むのだと思っていたけど、ゆかりちゃんが歩いているネパール人に道を尋ねたところ、「このまま橋を渡らずに上の道を通って行け」と教えてくれたらしい。地図上にその道は書いていないからパニクったけど、何人もが同じようにそう言うので従うことにした。そして最終的に地元民しか通らなそうな橋を渡ってペリチェの町に辿り着いた。4243mだ。

エベレスト街道 ペリチェ手前

ペリチェは広々としていた。川と同じ高さに町があって、これまでの山の中とは全然ちがう趣だ。草も生えて高原のようだ。ヤクも伸び伸びと草を食んでいる。しかし町は大きく家も多いのに、人気がなく寂しい。

エベレスト街道 ペリチェ

夕方、カラパタールへ行ってきたというスペイン人3人とガイドとポーター計3人が私達がいるロッジにやってきた。彼らはチョ・ラ・パスを超えてきたという。彼らはダイアモックスという高山病予防の薬も飲んでいた。そういうものがある事を初めて知った。話が落ち着くと、暇なのでゆかりちゃんと歌を歌いながら散歩して時間を潰した。

普段の生活だと歌を歌いながら歩くことはなかなかしないんだけど、私達は登山の最中、特に下りの時によく歌を歌っていたので共通の文化があってよかった。山でよく歌った歌といえば、奥田民生のイージューライダーやスピッツのチェリー、いるかのなごり雪とかだった気がする。
この時の私の中でのお気に入りは、スピードのホワイト・ラブだった。ちょうど3月頃の卒業シーズンに流行っていた。私は一曲をフルバージョンで、しかもアカペラで歌い、それをだまって聴き終わったゆかりちゃんは、「難しそうな歌だね」と感想を述べた。
特に決まって好きだったミュージシャンはいなくて、ブルーハーツやさだまさしを思い出したようにたまに聴きたいと思うくらいだったけど、ネパールで暮らすゆかりちゃんへ一度送ったカセットテープはジュディ・アンド・マリーだった。たぶんどっちも、声が好きだったんだと思う。

夜はとても寒かったのでずっと火にあたっていた。二人共少し頭が痛い気がするねと言い合った。脈は、ゆかりちゃん77、私79と問題なかったし、熱も二人共平熱だった。

天気は、午前中晴れて山がきれいに見えて午後になると曇った。明日もこうなのかもしれない。
夜は満月がアマ・ダブラムの山の隣に煌々と光って、とても美しい景色だった。

ネパールと立山

ロッジに居たガイドさんの一人は日本語を話せた。道を作る研修のために北アルプスの立山に1年間居たらしい。この時に、ネパールと北アルプス(立山)の間には多くの人の交流があることを初めて知った。
7~9月はネパールでは雨季のためシーズンオフになるのだが、日本はまさにオンシーズン。シェルパたちは北アルプスの道の整備とか山小屋の手伝いとかで日本にアルバイトに行くんだそうだ。(ちなみにこの時に出会ったアンヌル君という人は、その年の8月も剱沢小屋に行くという。私はちょうど行く予定があったので、剣沢に行った時に覗きに行ってみたら、本当にいて会うことができた。しかし君は覚えていないのか、日本で会うのは嫌なのかわからないけどとてもそっけなかった。)

きっともっと他にも、いろんなつながりがあるんだろう。

いつかのオリンピックの開会式で偶然聞いたアナウンスにこうあった。
「ネパールの選手団が着ているこのスーツは、日本の山の男たちが贈ったものです」
予算がなくてスーツを新調できなかったそうだ。私はそれを聞いてとても感動したのを覚えている。きっと自分が登山を始めた後だったからヒマラヤやネパールも含め、山と関連あるものに全て親近感が湧いていたころだ。あぁ国を超えてこんな友情があるのだなぁと関心したものだ。

ソルクーンブのじゃがいもと、山での食事

山に入って数日後のここらあたりで、すごく確信を持ったことがあった。それは、じゃがいもはどこの店でなんの料理を食べても絶対に美味しい、ということだった。さらに、「フライドポテト」を注文すると油で炒めて香辛料で味付けされた柔らかいものが出てくるんだけど、あるとき同じように注文したのにマックのよりももう少し太めの油で揚げたやつが出てきて驚いた事がある。そしてそれがものすごく美味しかった。油で揚げたやつが欲しい場合は、日本以外では「チップス」か「フレンチフライズ」と注文しないといけないらしい。

ナムチェでもそのチップスのメニューがあったのかどうか気付かなかったけど、ここらへんのチップスはとても美味しい。小粒の黄色いじゃがいもで、味がすごく濃い感じがする。だからチップスがあるロッジではゆかりちゃんと何度もチップスを食べた。当時インドカレーを始め今のようにエスニック料理なんかを食べ慣れていなかった私は、出てくる料理の中で度々好きじゃない香辛料がかかっていてイヤだと思うことがあった。それが何かはわからないけど、ゆかりちゃんのアドバイスで「ウィザウト マサラ」といって注文をした。そういうと、炒めたじゃがいもに苦手なスパイスが掛かってくることが無くなったような気がする。

帰国後に、ネパールのシェルパと遠距離恋愛中という珍しい友達にこのことを聞いてみたところ、その子も同意見だった。「そうなんですよ!彼も ”ソルクーンブノ ジャガイモハ オイシイデス” っていう日本語だけ喋れるんですよ」と言っていたほどだ。

あと食わず嫌いな私がエベレスト街道トレッキング中にさかんに食べていたものは、玉子焼きだ。

”エッグ ウィズ ベジタブル”を注文すると、中にどんな野菜が入ってくるか出てくるまでわからなかったりするけど、だいたいは緑の葉っぱ系が入っていてとても美味しかった。なんの葉っぱかはわからないけど、きっと良い土と良い空気のところで育った葉っぱだ。味に問題が無いのは、たぶん卵に派手な香辛料を掛けることがないからだろうか。ウィズ ハム とかウィズ オニオン なんかもとっても美味しく安心して食べられた。”オムレット”って書いてあった場合もエッグとほとんど一緒で、日本で言うオムレツとは違って黄身と白身がやや混ぜられた卵焼きが出てくることが多かった。
他によく食べたのは、ララヌードルという名前のインスタントラーメン。これはさらっと食べられる味だし、スープもあるからお腹に溜まる。あとはパンケーキなどの小麦粉のものもよく食べた。

卵、芋、小麦粉。外国の食べ慣れない食べ物が嫌いな私も、この組み合わせを食べている限りお腹を壊すことはなかったし、空腹になることも無かった。でもスイーツはどこに行っても美味しいものは無くて、ミルクティーに砂糖をいっぱい入れるか、または輸入品の高いチョコを買わざるを得なかった。キットカットやスニッカーズは日本と同じくらいの100円くらいした。一日の全部の費用を高くても1000円と考えていたのでこれは大きな出費だった。

逆にゆかりちゃんは、どこの外国に行っても日本で食べ慣れていない物を食べるのが得意だった。マレーシアの甘い麺、酸っぱいスープ・・・。それに既にカトマンズで何ヶ月もくらしている。山の中でも現地人と同じダルバート(しゃびしゃびの豆のカレー)や、ヤクのステーキ、シェルパシチュー、どぶろく・・・そういうのを注文していた。外国製のチョコレートを食べないゆかりちゃんの一日の出費はいつも私の半額だった。

ただ、本当に物価が安いのでしょっちゅう甘くて温かい飲み物を気軽に飲んでお腹を満たせば幸せな気分になれるので、そのあたりは本当にありがたかった。