初心者のための登山とキャンプ入門

屋久島・縄文杉と宮之浦岳登山の日記

屋久島 宮之浦岳

2015年、ゴールデンウィークを過ぎた頃に屋久島の宮之浦岳を登りました。初日は淀川登山口から宮之浦岳を登り、少し下りた避難小屋の新高塚小屋で宿泊。翌日は縄文杉を見てから荒川登山口へと下山しました。驚いたのは新高塚小屋の混み具合で、平日で台風後の登山者が少ない時期にも関わらず超満員でした。ハイシーズン、週末に高塚小屋か新高塚小屋に宿泊を考えている人は、テントを用意した方が無難です。

【 1日目:淀川登山口から新高塚小屋 】

  • 距離:9.4キロ
  • 累積標高:+742メートル、-625メートル
  • 参考歩行時間:7時間40分

【 2日目:新高塚小屋から荒川登山口 】

  • 距離:11.2キロ
  • 累積標高:+250メートル、-1120メートル
  • 参考歩行時間:4時間50分

地図:山と高原地図 屋久島 宮之浦岳 2016

なお縄文杉トレッキングの地図やアクセス方法、マイカー規制やコースの紹介は下記リンク先で詳しく紹介しています。

石井スポーツ ザックの選び方

2015年 ゴールデンウィークの旅はじまる

一昨年だろうか。母親と姉夫婦とその娘2人とゴールデンウィークに四国を旅行し、そのついでに石鎚山と四国剣山を登った。そして今年も同じメンツで九州を巡り、せっかく九州まで行くのなら残していた百名山・屋久島の宮之浦岳を登ってしまおうじゃないか、ということになった。

ゴールデンウィークの九州旅行は登山にはさっぱり関係ないので必要はないけれど、なかなか面白い旅になったので簡単に記録しておきたいと思う。

1日目 大阪から名門大洋フェリーで福岡へ

前日に愛知県の姉夫婦の家に僕と母親が集合。そして合計6人、車で出発。4月29日。
大阪の南港に行きそこから夕方、名門大洋フェリーに乗り九州は福岡新門司港に。個室で37370円。瀬戸内海を進むフェリー、ほどよい揺れでみな良く眠れる。

2日目 長崎県・崎野自然公園キャンプ場 泊

吉野ヶ里遺跡
吉野ケ里遺跡にて

フェリーは早朝新門司港に到着。1日目の宿泊地である長崎を目指す途中、佐賀県の吉野ヶ里遺跡に立ち寄りみなで勾玉をつくる。200円。大人4名盛り上がり、姪は作らず。
宿泊地は大村湾の奥地、崎野自然公園キャンプ場のバンガロー。一棟9770円。突き出た半島の先から見る静かな大村湾、大きな池の様な海の眺めは気持ちが良かった。

3日目 崎野自然公園キャンプ場 2泊目

長崎観光。グラバー園、亀山、平和記念公園をめぐり、稲佐山から夜の長崎の夜景を楽しむ。グラバーの山、亀山の山、稲佐山、そして平和記念公園の山と山登りが多い1日だった。長崎には山が多いことを体感する。宿泊先は再び崎野のバンガロー。9770円。

4日目 大分県・久住グリーンパーク泉水キャンプ村 泊

長崎から諫早を走り抜け、島原から熊本フェリーで雲仙を眺めつつ熊本へ上陸。全員で5870円。そこから菊池渓谷、阿蘇山を経由し大分県は久住グリーンパーク泉水キャンプ村のロッジに宿泊。阿蘇のスーパーで買った鶏のモモ肉が最高に美味しかった。

5日目 久住グリーンパーク泉水キャンプ村 2泊目

雨。久住グリーンパーク泉水キャンプ村から動かず。ロッジないでほとんどの時間を過ごす。オリジナルカルタ作りを楽しむ。

6日目 大分県 別府のお宿加賀屋

九重のタデ原湿原、九重"夢"大吊橋を観光し別府へ下りる。別府では加賀屋に宿泊。素泊まり1人4000円がゴールデンウィーク価格で2倍の8000円。旅館の様な民宿の様な加賀屋。温泉付き。

7日目 熊本県・南阿蘇 貸し別荘ビラ・マイルド泊

南阿蘇の田んぼ
南阿蘇の田んぼで遊ぶ

別府の地獄を観光後、姉の夫、北尾くんが東京に帰る。残る5名は旅を継続、南阿蘇へ向う。宿泊先は貸し別荘ビラ・マイルド、一棟1万4000円。ロケーションの素晴らしさ、何より南阿蘇全体がのどかで穏やかでとても気持ちのいい時間を過ごすことができた。

8日目 ビラ・マイルド2泊目

この日からノープランになる。
南阿蘇が気に入りビラ・マイルドをもう1泊延長。トロッコ列車に乗り、ソバを食い、馬に乗ったりして南阿蘇を満喫。屋久島にはまだ行けず。

9日目 宮崎県白浜オートキャンプ場泊

高千穂峡のレンタルボート
高千穂峡の貸しボート

雨。高千穂峡によりつつ宮崎県へ。日南のキャンプ場、宮崎白浜オートキャンプ場のケビンに宿泊。一棟1万260円。大海原を望む最高のロケーション。ケビンの設備も最高。電子レンジ以外は揃っている。

10日目 鹿児島県・鹿児島市城山 ホテル満秀

日南の白浜海岸
日南の白浜海岸で磯遊び。うしろに洗濯岩。

白浜、鬼の洗濯岩で有名な青島で磯遊びを楽しんだのち鹿児島中央へ向う。鹿児島では城山の麓のホテル満秀に宿泊。素泊まり1人4,380円。城山は西南戦争最後の戦地、そして隣は斎場のホテル満秀。しかしそんな中、最近ではめったに見られないほどの素敵な夢を見ることができた。

11日目 ホテル満秀2泊目

雨。県立博物館で鹿児島の自然を学び竹笛作り教室に参加する。その後天文館通りでお土産を見て、鹿児島中央駅内でさつま揚げを買う。宿は同じくホテル満秀。

12日目 屋久島 コテージ くつろき

フェリー屋久島2で車も一緒に屋久島へ(24200円)。千尋の滝などを観光。真っ暗闇のなか湯泊温泉の露天風呂に姪2人が入り楽しむ。宿泊は新築オープンのコテージくつろき、大人1人3800円。人の家みたいなワンルームで、綺麗すぎて気を使う。夜ご飯はモスバーガー。

13日目 屋久島 コテージくつろき2泊目

屋久島、栗生の浜
栗生の浜で磯遊び、流木拾い

栗生の浜で流木を拾い、大川の滝では巨大な流木を手に入れる。その後西部林道でヤクザルとヤクシカを見つつ屋久島灯台へ。西部林道が思いの外長く夜ご飯は外食。

14日目 Villa Heurex(ヴィラ ウルー)

台風。台風が過ぎ去るまで屋久杉自然館で時間を潰し、その後強風の安房の港で流木拾い、そしてトローキの滝を観光。ここにきてはじめて屋久島の青空を見る。宿泊先はのスタッフに紹介していただいたヴィラ・ウルー。やはり部屋が綺麗すぎて気を使う。

15日目 -5月13日

宮之浦岳に登る。

宮之浦岳登山

5月13日、屋久島。

「ひと月の35日間雨が降る」と言われる屋久島で奇跡的の晴れ、快晴。昨日屋久島をかすった台風が、去ると同時に雨を降らせる色々なものまで持っていったのだろう。昨晩の星空も素敵だった。流れ星も見た。これまでの旅もそうだけれど、我々には旅の神がついているようだ。

7時30分頃にコテージを発ち、淀川登山口へと向かった。

宮之浦岳には淀川登山口から登ることにした。1泊2日で宮之浦岳と縄文杉を巡ろうとすると、淀川登山口から登るのが一番無理がない様に思えた。屋久島ブック にもこのパターンが紹介されていた。

あさひ弁当で昨日予約しておいた笹の葉弁当を受け取り、途中紀元杉に立ち寄ると淀川登山口に到着したのは8時半過ぎ。予想に反して駐車場は満車だったし、その手前の道路脇にも数台車が停めてあった。「わ」ナンバーの軽自動車がずらずらと並ぶ。
ここで、ここまで送ってくれた家族と別れ、いざ久しぶりの山中へと潜り込んだ。

屋久島の整備された登山道

本当に久しぶりの登山。去年の10月、エベレスト街道をトレッキングをして以来になる。そしてそれ以来運動と言うものをした記憶がないし、外を歩くという行為も数えるくらいしかしていない。自宅のパソコンの前で過ごすことがほとんどで、たまに思い出した様に腹筋をしたりスクワットをしたり、無駄に上腕二頭筋を鉄アレイで鍛えたりはした。でもそれも2,3回くらい。なので僕の体は完全になまっていた、というより運動不足もいいところだった。
なので今回の登山が不安。この体で1泊2日の山歩きはかなりきつい。テントも置いてきたし米も炊かない。荷物を軽くしなるべく足に負担をかけない。けれど、それでもつらい登山になるのは間違いないだろう。経験上、この手の、その年の一発目の登山ではピンチになることが多いのだ。膝をやって泣きそうになるか、太ももが全く効かなくなって泣きそうになるかのどちらかだ。
そんな心配をしながら、整備された登山道を丁寧に歩く様心がけながら進んだ。

さすがの屋久島で、次々と大木が現れる。本当に見事な大木で、道を曲がると太い幹が、ぬっと視界に飛び込んでくる。大きな木や根っこの形が好きなのでとても嬉しい。それと屋久島と言えば花崗岩。地面を蹴る時のジャリジャリと言う音と青い空がとても心地いい。
そしてヤクシカの登場。彼らはどうやら警戒心が薄いようで、気がつけば僕の真横にて突然「ピーッ!」と大きく鳴き声をあげて僕を驚かせた。
そんな風に、登山を開始してからわずかな間に屋久島らしさを感じさせてもらった。

屋久杉のトンネル

淀川小屋に着いた頃には暑くて汗もかいていたので一服した。それに腹も減っていた。
淀川は流れているのかどうかもわからないくらい穏やかで、水面も池の様に静かだった。姪二人も屋久島に来ているので、こんなきれいな川で水遊びしたらきっと喜ぶだろうな、と思った。

淀川からは登りが続いた。登るに連れて杉の木は少なくなり、栂やモミの木が目立つ様になった。そしてさらに登ると今度は大きな木が少なくなり、照葉樹的なツルツルで固そうな葉と、背の低い木々が目につく様になった。標高が上がるにつれ見えるものが変わり始めた。
そして僕は疲れはじめていた。太ももがややキテいるようで、下り道を歩くと太ももの裏が微妙にプルプルとしている。こんな初期の段階ですでにプルプルが始まってしまっていた。だから、ゆっくり歩け、と自分に言い聞かせてはいるけれど、それでもついついいつも通りに歩いてしまう。空が晴れていると雲のないうちに山頂に立ちたいと思ってしまうし、僕の登山開始時刻は一般的に考えて遅すぎた。そして何より僕を足早にさせていたのは宿泊予定の避難小屋「新高塚小屋」で、話しによるとシーズン中はかなり混むらしい。寝床が確保できるかどうか、それが不安だった。

屋久島 花之江河
花之江河湿原

高盤岳の展望台で休憩したあとは花之江河をスーッと歩いて、その後でてきた黒味岳への分岐も迷わずパスした。投石平辺りになると頭の中は反省モードになり、自分が運動という運動をほとんどしてこなかったこと、荷物の軽量化に最善の努力をしなかったこと、そして暑苦しく長い自分の髪の毛のことを思った。2キロに近い重たいカメラを呪い、水場が多いのに運び続けているザックの中のプラティパスの水のことを思った。
筑紫岳への登りになると、僕に試練を与えるかの様に道は厳しくなった。これまでの道とは違って大きな岩を登るために足をあげなければならないし、高い木は完全になくなり体は日に晒され続けた。真っ黒なパンツとウールのシャツを履いていることを嘆くばかりだった。

屋久島 投石平
投石平

昼食をとったのは、そんなきつい登りを終えてしばらく歩いたところ、たぶん翁岳を巻いた辺りのところだと思う。沢がある湿原的なところで、目の前には形のいい宮之浦岳がどっしりと構えていた(実際は栗生岳だった)。

あさひ弁当で買ってきた笹の葉弁当は、ボリュームがありコストパフォーマンスは素晴らしいと思った。たぶん500円もしなかっただろう、大きなおにぎり2つにおかずが5品ほどあった様に記憶している。暑さでバテていたのでこのボリュームは少しきつかったけれど、生きろ、と自分に言い聞かせながら夢中にほおばった。

あさひ弁当の話し。
朝、あさひ弁当に立ち寄った時、8時頃に取りに行くと予約していたけれど実際はそれより5分ほど早くあさひ弁当に着いてしまった。と、そのタイミングより少し遅いくらいであさひ弁当のおばちゃんが運転する車が滑りこんできた。車から出たおばちゃんは小走りで店の中に入ると、店の窓を開け僕の名前が書かれた付箋が貼ってある弁当を僕に手渡した。僕はついでに安房からのバスのチケットもお願いしたので、合計1200円ほどをおばちゃんに手渡し、そして礼を言って再び車に乗り込んだ。
このあと、僕と姉との車中での話題は、僕が買った弁当はいつ頃作られ、そしておばちゃんはどこから来たのだろうか、と言うことだった。
結論は出なかったんだけれど、僕が思うに、たいていの登山客は早朝の、それもまとまった一定の時間に弁当を取りに来るのだろう。なのでその時間帯ならおばちゃんは確実にお店にいたのだろうが、僕の予約が8時と遅かったので、それまでの間おばちゃんは家の仕事をしていたり、もしくはパートや他の用事をしていたのではないだろうか。きっと僕だけのために、わざわざ車で店まで来てくれたのではないだろうか。屋久島ではコンビニで気楽にお弁当を買うことなどはできない。本当にありがたいことだと思った。

屋久島 あさひ弁当

昼食後、若干体が軽くはなったものの、やはり暑さがしんどかった。
屋久島で奇跡的に晴れていることが幸せだと思っていたけれど、曇ってよし、と思ったし、それに宮之浦岳だと思って自分を鼓舞しながら登った山が、実は栗生岳と知ったことで更に暑さが増した様に感じた。

屋久島 栗生岳
正面に栗生岳

その栗生岳からしばらく歩くと、ついに九州最高峰、標高1,936メートルの宮之浦岳の山頂へと辿り着いた。

栗生岳が宮之浦岳みたいなテンションで登っていたので山頂感は全く得られなかったけれど、そこからの360度のパノラマは爽快だった。空と海との境界線はわからないけれど、海岸近くの岩場で白波が立っているのが見えたし、国割岳の奥には口永良部島もくっきりと見えた。そして何より嬉しかったのはこれから向う先に樹林帯が見えたことだった。黒々とした緑の森。そこに早く潜り込みお日様から逃れたいと思った。
なのですぐに宮之浦岳の山頂を後にした。

屋久島 宮之浦岳山頂
宮之浦岳山頂から。たぶん、右手が永田岳、中央が国割岳、その右奥にうっすらと口永良部島。
屋久島 宮之浦岳
平石辺りから見上げた宮之浦岳。

そこからは膝をやってしまわないよう慎重に下った。相当太ももにキてたので負担をかけない様細かく足を運び、ヤクザルにもヤクシカにも、そして素晴らしい木々や景色にも目もくれず足元だけを見て下った。シャクナゲの森もヒメシャラの森も、眺めの良さそうな展望台も全て無視した。樹林帯を喜び、早く今日の日が終わりを告げることだけを夢見てひたすらに下った。
そして16時30分、新高塚小屋に到着した。

超混雑の新高塚小屋

屋久島 新高塚小屋
新高塚小屋

薄暗い新高塚小屋の中、驚いたのは自分のスペースが見つからなかったことだった。1階はもちろん、はしごを登り全ての2階部分を確認しても、僕がスッと入っていける場所が見当たらない。困ったなあという顔をして辺りをゆっくりと見回してみても、ここ入りますか?、と言ってくれる様な気の利いたはいない。
しょうがないので、2階の、4人入れそうなところにあった3つの寝袋をずらしてスペースを作り、そこに割り込むことにした。誰もいなかったので後で嫌な顔をされないか心配になった。若い女性グループだったらどうしようかと思った。

寝床を確保できたことに安堵して荷をほどいていると、階下にいたじいさんが「そこは私が・・・」と僕の方を見ながらつぶやいた。なんだろうかと思ったが、察するにそのじいさんは僕より少し早く小屋に入り、僕が入ったスペースに目星をつけながらも他の場所を探していたところ、後からいけしゃあしゃあと入ってきた僕に場所を奪われてしまった、ということだろう。知るかよ、とは思ったけれど、大先輩の手前もあったのでその場所を譲る意図を彼に告げた。さわやかに、申し訳なさそうに。
しかしその返事は無言で睨むことだった。2.5秒くらいの長い長い時間僕は睨まれた。その2.5秒の間に、僕は様々な困った表情を彼に見せたかも知れない。

結局彼は1階のスペースに落ち着くことになったが、その後、自分の荷物を動かされたということで隣人と揉めていた。ガイドが出てきて説得までするちょっとした騒ぎで、彼はそういう、少し難しいじいさんだった様だ。
僕は山ではテントで寝ることが多いし仕事も1人で人との関わりが薄いので、こういったことがめんどくないなとは思った。けれど扱いづらいじいさんがいて、文句を言われる人がいて、そこに割って入り場をややこしくさせる人がいて、その場を収める人がいて、そしてその状況を野次馬が2階から楽しんでたりして、そんな光景が小さな社会で、その空間に自分がいることが少し嬉しかった。
それに、隣りの寝袋の人達とも仲良くなることができた。3名のグループで2人は夫婦、もう1人は日本人の男性と結婚した台湾人の女性で、彼らのなれそめを聞いたり、またそのグループがなにがあって登山をする様になったか、そんな話しを聞かせてもらえて楽しかった。そうやって避難小屋での時間を過ごすことができた。たまには避難小屋で寝るのも悪くないな、と思った。

新高塚小屋のテント場
新高塚小屋のテント場

そうしている間にも新高塚小屋には次々と登山客がやってきた。すると今まで微妙に空いていた寝袋と寝袋とのスペースもびっしりと詰まり、通路もすべて寝袋でふさがり、そして最後に到着した外国人はゲタ箱の下で寝ることにまでなった。まさに足の踏み場もない状態だった。
僕は今日、歩き始めてから新高塚小屋までの間、3、4グループは抜いたと思う。もしゆっくり歩いて遅くに小屋に到着していたら、結構悲惨なことになっただろう。僕は2階のスペースを得たのでこれ以上人はやってくることはないが、もし通路が寝床だったら人の往来が激しくてうるさいし気も使うだろうし、とても寝られたもんじゃなかっただろう。

しかし、とても寝られたもんじゃない様な状況ではなかったにせよ、その夜僕は早く眠ることができなかった。多分、寝袋に入ってから3時間は過ぎた頃に眠りに落ちたと思う。それはそうだ。普段でさえなかなか寝付けないうえに今日は6時半起きなので、疲れているとはいえ19時過ぎに眠れるわけがない。

早い人は19時にはいびきをかきはじめていた。時が過ぎるとともに次第にいびきの数は増え始めた。いびきには様々なパターンがあり同じものが一つもないことを学んだ。
隣りの台湾人のおばさんはなかなか寝付けない様で、ヘッドランプの向こうで睡眠薬を飲んでいた。しかしそれでも眠れず2度目の睡眠薬を飲んだ。そしてコロっと落ちた。

僕の右隣にはその台湾人のおばさん、左隣には夫婦のおばさんの方が寝ていた。彼女らの顔は僕の両耳に近く、息遣いを耳にもろに感じた。そしていびきも両耳にダイレクトに入ってきた。ヘッドランプを取ろうと思ったらおばさんの髪の毛をワシャっと掴んだ。そんな、なんとも言えない人間味を感じる夜だった。

縄文杉と山ガール

仕方のないことだけれど、朝は早い人に起こされてしまう。

誰かが3時半頃に起きて出発の準備を始めると、周りの人も準備をし始める。それにつられてかわからないけれど、すると小屋の中のほとんどの人が準備をし始め、とてもじゃないけどうるさくてそれ以上寝ていられなくなる。今日の予定を考えると、僕は9時起きでも大丈夫なくらいなのだ。だからゆっくり寝ていたいのだがそうもいかない。
はじめに起きた人は極力音を立てずにパッキングをしている様に思う。けれど起きる人が多数になるとそれが普通になり、大きな音を立てることも大きな声で話すことも、ヘッドランプの光を人の顔面に当てることも普通になってしまうのかもしれない。まあ仕方のないことだけれど。

歩き始めたのはヘッドランプを使わずに歩ける様になった頃、5時過ぎ。
こんなに早く行動してどうるんだよ、どこで時間を潰すんだよ、とぶつぶつ言いながら歩いた。帰りの荒川登山口からのバスの時刻表には早い時間帯は用意されていない。ひたすらゆっくりと歩くか、どこかで時間を潰すしかないのだ。
それでも、山の朝は何にも代えがたいくらい清々しくて気持ちがいい。草や木々、動物や陽の光のテンションはまだ20%くらいと言った感じで、ガツガツとしていないので歩いていて心地がいい。とても静かで穏やかで、こんな時間を永遠と歩いていたいくらいだ。
しかし詩的な表現を楽しんでいるのも束の間で、整備された階段を下り始めるとモモの筋肉がほとんど回復していないことがわかり、自分の心と戦わなければならなくなった。さて、僕はこの足で無事に登山口まで下りることはできるだろうか。

屋久島の登山道

脂汗をかきながら木の階段を慎重に下り、旧高塚小屋を通過。そして縄文杉へとたどり着いたのは歩き始めてから1時間経った頃だった。

夢にみた縄文杉、ではなくて僕の目的は宮之浦岳ではあった。けれどやはり縄文杉はとてつもなく大きくて、その存在感、というか山のヌシ感には圧倒された。森の奥にどっしりと座っているその姿が、森の王様と呼ばれるに相応しいと思った。木の幹やコブが顔に見えて、今にも低い声で話し始めそうだった。

けれどやっぱり、縄文杉までの距離がちょっと遠いなあと思う。写真を撮る分にはある程度の距離があってありがたいんだけど、もっと近くでその大きさを感じたかったし、縄文杉のボディや根っこの模様を近くでまじまじと見たいなと思った。

屋久島 縄文杉

まだ朝の6時過ぎだったので縄文杉を眺めるステージに人は少なかった。ほんの数人だ。
「もう一泊しようかな、去るのが惜しい」と言いながら、じっくりと縄文杉を眺めていた人がいた。僕もゆっくりと縄文杉を見ていたいと言う気持ちはあった。時間もたっぷりとあった。けれど、何だか遠くから眺める滝みたいな感じで少し物足りなかったし、じっくりと見るなら完全な1対1がいいと思った。なので長居はせずその場をあとにした。

その後は整備された木道が続いた。太ももの状態がかなり深刻で、いつダメになるか、いつ膝にくるのかが不安だった。夫婦杉や大王杉をじっくり眺めるふりをしながら、木と語らうふりをして太ももを休憩させながら、ゆっくりと道を下った。
そして太ももとは別に、僕には不安に思っていたことがあった。荒川登山口から屋久杉自然館へと向うバスの時刻表についてだった。昨日14時頃発のバスの時刻表を確認し、姉には14時30分に屋久杉自然館へと迎えに来てくれと告げていた。けれどそれが本当に正しかったのだろうか。14時だったか13時半だったか。必要なことは携帯にメモしてきたつもりだったけれど、なぜかその時刻表だけがそこから抜け落ちていた。荒川登山口に早く着きすぎるのももったいないし、バスの本数も少ないので乗り遅れたくない。

ということで、ウィルソン株の前で休憩中、隣になった男性にバスの時刻表を見せてもらった。すると、荒川登山口からの1番早いバスは14時ではなく、15時という驚愕の事実がわかった。
15時。なんということだろうか。このままのペースでいけば、僕は11時前には荒川登山口に着いてしまうだろう。待つ行為は嫌いじゃない。けれど、4時間は少し長すぎる。瞬間的に頭の中で、その4時間の間にできる暇つぶしを思い浮かべる。けれど2時間を潰すくらいのネタしか僕は思いつけない。
まあ待つのはいい。待つのは嫌いじゃないんだ。問題なのは、姉と14時半に屋久杉自然館へ、と約束してしまっていたことだ。僕が時間通りに来なければ姉は心配することだろう。いや、姉のことだからすぐにバスの時刻表を確認し、僕が間違った時刻で約束していたことなどすぐに気がつくだろう。

さてどうしようか、と考えながらウィルソン株からの道を下った。この頃になると、朝イチで荒川登山口から登って来た人とすれ違うことが多くなった。
ガイドの話しを盗み聞きしたところによると、9時頃になるとどわーっと登りの登山者が押し寄せてくるらしい。それまでにトロッコ道まで下りてしまった方がいいとのことだった。たぶん、トロッコ道が終わる大株歩道入り口からウィルソン株までは急登で、しかも道幅も狭いのでゆずりあっていると時間をロスしてしまうのだろう。
なので僕も、太ももの痛みを我慢して足早に下った。

屋久島 ウィルソン株

さて、僕はこの後どうするべきか。
荒川登山口に向かわず、白谷雲水峡に下るというパターンもある。というかこれが淀川登山口から登ってきた人の一般的なパターンの様で、僕以外のほとんどの登山者がこのコースを選んでいる。理由は、トロッコ道よりも白谷雲水峡のコースの方が”もののけの森”なんかの見どころが多いこともあるし、バスの時刻表を考えると確実に都合がいいのだろう。荒川登山口への道は、楽ではあるがバスを長時間待たなければならないのだ。

白谷雲水峡には心が惹かれた。しかし僕の今のいっぱいいっぱいの足では峠を越えて白谷雲水峡へと下りるのは無理があるだろうし、カメラのバッテリーも切れて撮る写真もない。それに、白谷雲水峡に無事に着いたとして姉に連絡はうまく取れるのだろうか。携帯の電波はあるのだろうか。

そんな風にあれやこれやを考えながら道を下っていると、唐突に山道は終わりを告げた。大株歩道入り口。平坦なトロッコ道が東へと伸び、荒川から登ってきた初々しい登山者が休憩をしたり、記念撮影をしたりしていた。人知れず太ももが修羅場だった僕には、そこがまるで別世界の様に感じた。延々と続く夢の様なトロッコ道。これで僕は救われたと思った。
そして僕は休むことなくトロッコ道をずんずんと歩きはじめた。というか、自分の顔や体から疲労感やサバイバル感がムンムンと出ているのがわかっていたので、恥ずかしくてその場から逃げたかった。

屋久島 トロッコ道

トロッコ道を歩いていると、向こうからも2,3人のグループや、団体の登山者がずんずんと歩いてきては何度かすれ違った。 ほとんどのグループがガイドと共に歩いていて、華々しい山ガール達とすれ違うことが多かった。今までいくらか山に登ってきたけれど、本物の山ガールを見たのはこれが初めてかも知れない、と思った。
そして僕は荒川登山口へ行くことを決めた。それが一番無難で安全な選択だと思った。

まずは荒川登山口まで行く。もしかしたら誰かを乗せてきたタクシーがいるかもしれない。いや、いないだろう。期待してはいけない。そしてそこで携帯の電波があれば姉に電話をかけ、マイカー規制のゲートである荒川三叉路まで迎えに来てもらい、僕は荒川三叉路まで1時間の林道を歩く。携帯の電波が繋がらなければ荒川三叉路まで登り、そこにある公衆電話を利用する。公衆電話がなんかしらの事情で使えなければ、携帯の電波を探し求めながらヒッチハイクをしつつ屋久杉自然館を目指す。
こんな方針を決めた。

方針が固まり覚悟を決めてからはずんずんと歩いた。トロッコ道を歩くのはとても楽しかった。僕の後ろを歩く人もいないし登ってくる人はもういない。スタンド・バイ・ミーだ、なんて思いながら浮かれて歩いた。けれど、小杉谷からトロッコ道が歩きにくくなるとしだいに楽しさは失せていった。標高は低く陽は頭の上にあり暑くてたまらなかった。
そんな感じで、荒川登山口についた頃にはかなりヨレヨレだった。そして案の定荒川登山口には人っ子一人おらず携帯も繋がらず、マイカー規制期間中なので誰かがやってくるという可能性も、もちろんなかった。ゴールの荒川登山口に着いたは着いたけれど、ちっとも嬉しくなかった。

荒川登山口
荒川登山口

そこからは林道をヨレヨレと登った。荒川三叉路まではたった1時間の道のりではあるけれど、疲れきった体にアスファルト歩きは堪えた。
傾斜が休むことなく一定の角度で空に向かって伸びていた。登っても登っても頑なに一定の角度をキープしていた。
ヤクシカが僕の姿を見つけては、車道をピョンピョンと逃げていった。
ヤクサルが落石防止の網と岩の間にハマってしまい、オリに捕らえられたみたいに暴れていた。

しばらく登ると開けた場所があり、そこでauの電波がギリギリ入り姉に連絡をすることができた。バスの時間を間違えた、今荒川三叉路に向かって歩いてるからそこまで来てくれ、と電波が悪くとぎれとぎれになったが伝えることはできたと思う。けれど、姉が電話が切れる際に言っていた言葉が解せなかった。
「荒川三叉路から下りてくるんだよね? もしもーし、聞こえてますか? 荒川三叉路から歩いてくるんだよね? 見つけたら声かけてね。・・・もしもーし」。
こんな感じで電話が切れた。
なぜ僕は荒川三叉路から歩かなければならないのだろうか。。。荒川三叉路まで車で来れるんだから、そこまで車で来たらいいだけの話しじゃないか。僕が三叉路から歩こうが歩くまいが、車にしたらほんのちょっとの差しかないじゃないか。なぜ”山を下る俺と山を登る姉が遭遇する”みたいな素敵なシーンを演出しなければならないのだ。「見つけたら声かけてね」って、車に僕の声なんか届かないだろうし、こんな1本道で姉が僕の存在を見落とすことなんてあるわけないじゃないか。もう一度電話をかけて「俺は疲れていて非常事態なんだ、荒川三叉路で待つ!」、とはっきりと伝えるべきだろうか。
僕はとにかく疲れていたので、姉のその不思議な対応が腹立たしかった。

それからも車道歩きは続いた。たった1時間が5時間くらい歩いている様に感じた。次のカーブを曲がれば荒川三叉路のゲート・・・、次のカーブを曲がれば荒川三叉路のゲート、・・・・ということを10回は考えた。そして3分に一度は「見つけたら声かけてね」を思い出して腹を立てた。腹も減っていた。

そして1時間のはずが1時間10分ほど登ったところで、ついに荒川三叉路に到着した。
ゲートの前では茶髪で日焼けしたタンクトップのおじさんが、優雅に軽トラックの掃除をしていた。

僕はもうこれ以上歩けないというくらい疲弊していて、ガードレールの脇にドカッと座り込んだ。そしてタバコを吸い、お菓子のマメを食べた。マメを食べ終わると登山で出たゴミの整理をし、そして今度は黒糖をポリポリとかじった。それも終わるとまたタバコを吸い、タバコが終わればまたマメをポリポリと食べ、ザックについたアリを数匹払いのけた。そして水をガブガブと飲んだ。
そうやって、休憩というテイで僕はそこから一歩も動かなかった。姉が来るまで絶対に動かないぞ、姉をここまでこさせてやる。俺は疲れてるんだ、わかるか!、というメッセージを態度で示そうと思っていた。
そんな謎の抵抗を続けながら、荒川三叉路での座り込みはしばらく続いた。

姉の車がやってくるまでの間、観光バス2台とバイク2台、それと「わ」ナンバーのレンタカーが1台、ヤクスギランド方面からやってきただけだった。最悪ヒッチハイクをするなんて考えていたけれど、案外車って少ないものだなと思った。

そして姉が運転する銀色の1boxカーが、坂道から顔を出し登ってきた。名古屋ナンバー。これで下界に戻れる、美味しいご飯が食べれる、と思うと嬉しくなった。
しかし、車はなぜか僕の前には止まらず、Uターンして50メートルほど離れた場所に停車した。そしてハザードランプが点灯した。
なぜこんなにも、ゲート前にスペースがあるのにわざわざ遠くに車を停めるのだろうか。なんなのだろうか。嫌がらせだろうか。

かなりムカついたので文句を言おうと思ったけれど、しかしもうそんな気力もなくなっていた。立ち上がると自分がどれくらい疲れているのかがわかる。諦めてザックを背負い、トボトボと車まで歩いた。