初心者のための登山とキャンプ入門

笠ヶ岳登山・笠新道で敗退 夏の北陸登山の旅②

笠ヶ岳 笠新道の登山口

あらすじ
笠ヶ岳から剱岳を越え富山まで、夢にみた北アルプス長期縦走を実現するため、僕は「毎日アルペン号」に乗り新穂高温泉にやってきた。

石井スポーツ 2016冬季 岳人祭

お若いのに山の歩き方を知ってらっしゃる

毎日アルペン号は上高地でほとんどの人を下ろし、平湯温泉に立ち寄り、そして新穂高温泉に到着した。空には薄く雲がかかっている。天気は晴れということになるだろう。
笠ヶ岳だろうか。大迫力の山々が、僕の行く先に連なっていた。

新穂高温泉のバス停の前ではたくさんの登山者が準備をしていた。でもここは準備をするのに気持ちの良い場所ではない様に思う。工事中で適したスペースもないし、人々もどこか焦った様な面持ちだ。
ということで僕は早々に歩き始めた。

新穂高温泉バス停の様子
新穂高温泉バス停。真ん中からちょっと左によった奥の山が笠ヶ岳。

左俣谷(ひだりまただに)沿いの車道を10分ほど登ったところに登山届を提出するゲートがある。その付近に手頃なサイズの広場があり、そこで本格的に登る準備をした。おにぎりとサービスエリアで買ったバームクーヘンを食べ、念入りにストレッチをしタバコを吸った。

沢沿いの広くて歩きやすい林道を歩いた。笠ヶ岳への登山道「笠新道」の分岐までは1時間ばかし同じような道を歩いた。

歩きながらただただ考えていたことは、ザックが重いということだった。水を入れて25キロ、手には2キロのカメラ。ちなみに靴は片足1キロくらい。予想より遥かにしんどい。こうなればもう、ひたすらゆっくりと歩くしかない。

左俣谷の林道の様子
笠ヶ岳を眺めながら左俣谷林道を歩く

後ろから来る登山者が次々と僕を抜き去って行った。老若男女全ての人が僕を抜いていった。くやしさもあったけれど、先が長いんだ、ザックが重いんだ、と自分に言い聞かせてゆっくりと歩いた。
でも救いになったのが、ベテラン風のじいさんに「お若いのに山の歩き方を知ってらっしゃる。後ろから感心して見ておりました。」と褒めてもらったことだった。けれど、僕にはこうやって、エコをしながら進むしか術はなかった。褒めてもらえたことは嬉しかったが、そうせざるを得なかった。素直に喜べないのが残念だ。
それともう一つ、すれ違ったり僕を抜いていく数人の登山者に声をかけてもらえたことも嬉しかった。もうそろそろ、僕が同じ様に若者に声をかける番になるんだな、と思った。

ゆるやかに登っていく道は終わりそうで終わらない。僕の歩みがあまりにも遅いのだ。こんなペースで今後やっていけるのだろうか、コースタイムの2倍は必要なんじゃないだろうか、と心配になった。

そしてとうとう、笠新道の分岐に到着した。
登山口にある水場からは水がダバダバダバ~と流れている。

笠新道の登山口と水場
笠新道の登山口と水場。やっぱり誰も登らない。

笠新道とレモネード

僕は腰を下ろしタバコを吸いながら真剣に考えた。今日笠新道を登るべきか、または予定通り「わさび平小屋」にテントを張って、明日登るかどうか。

そして登ることに決めた。
果たしてこんなペースで笠ヶ岳山荘に到達するのだろうか、という不安もあったけれど、まだ時間も早かった。こんな朝早くにテントを張ったって暇だし、それと、今日がんばらないと僕はくじけてしまうかもしれない、と考えた。登ってしまえばもう進むしかない。自分の顔にビンタして気合を入れる様な、それくらいの覚悟で笠新道に突っ込んだ。

笠新道はいきなりの急勾配だったけれど、それでも登り始めるとやれないことはないと感じた。ゆっくりじりじりと登ればいけそうだと希望を持った。
けれど15分も登ると考え方は変わった。顔からは汗が吹き出して地面にポタポタと落ち、腕の汗は川の様に腕を伝い手のひらを濡らし、カメラが滑ってしまうほどに溢れた。そして、たった30分登っただけで休憩せざるを得なかった。

今までとは何もかもちがう登山なのだと感じた。
僕の認識不足だった。25キロを背負うとこんなにも登山がハードになることを知った。今年は多く山に登っているので強くなったつもりでいたし、基本的に「やりゃあできる」と思っていたけれど、全然だめだ。
そして準備不足を悔やんだ。今回のために特別なトレーニングはしなかった。せめて、25キロのザックを山で背負うとどうなるか、とテストするべきだった。情けない思いでいっぱいになった。自分がもう一人いたらビンタでもしてやりたい気分だった。

それでもこんなところでは引き下がらないぞ、と作ったレモネード一気飲みをして元気づけた。いや、400グラム以上もあるレモネードを飲み荷物を軽くしたかっただけだ。

レモネードは、うますぎた。

笠新道の様子
登山口付近の笠新道の様子。写真を撮るのも億劫。

歩き始めるといける気がしたが、やはり5分も歩けば体が重くなり汗がブワーッと吹き出す。歩いては休む登山になった。
こんな状態になったのは初めてで、このまま食らいついていれば登れるのか、それとも登れないのか、ペースとか体力とか全然わからない。おとなしくわさび平に戻り、明日の涼しい時間に再挑戦するべきではないか、と考え続けた。

俺はやれるんだと自分を鼓舞したり、好きなことを考えて現実から離れてみたり、戦時中の人はもっと大変だった、肉体労働者はこうやって体を使って働いているんだ、とか必死に考えざるを得なかった。そして無駄に酸素を使わない様、無心の境地を試みたりもした。
しかしどんな事を考えても楽になりはしない。頭に浮かぶ言葉はレモネードが重いだのガーナチョコ10枚が重いだの夏が暑いだの空を飛びたいだの、そんなことばかりだった。

またこの頃から僕は、ビバークできる場所を探しながら登っていた。ここは寝れそうだとか、ここはテントを張るには狭い、とか。 たぶん僕は、笠ヶ岳山荘に着く前に力尽きてしまうだろうし、今更下る気にもなれなかった。明日もう一度、同じ道を同じ様に登ってくるなんて考えられなかった。

笠新道から穂高連峰の眺め
穂高を眺める。今思うとロープウェイで西穂まで行き、そこから槍までの縦走なんて100万倍楽だった。
全ては樹林帯の暑さのせいなんだ。早く稜線に立ちたい、と強く願った。

2度目の休憩で、「杓子平」でビバークすることを決めた。なんとしてもその辺りまでは登ることだけを決意した。
そして水の減りもかなり早かったので、一晩明かす事を考えセーブしながら登ろうと決めた。

しかし10分も歩かないうちに僕は250mlの水を一口で飲んでしまった。そしてもっと欲するほど乾ききっていた。この時にはもう汗すら出なくなっていた。
このままでは杓子平に着くまでに僕の水はなくなってしまうだろう。登るのか下るのか、真剣に考えなければならない。

下山途中の夫婦に尋ねると、杓子平まではまだあるということだった。
僕の現状を彼らに伝えると、「我々もあまり水を持っていないからなあ」と彼らは困った顔で言った。もちろん、僕は水のお恵みを望んでいたわけではないが、その様に彼らに思わせてしまったことがとても情けなかった。

木にもたれながら、進退について必死に考えた。

笠新道のクワガタ
暑さと重さでぶるぶると震えながら必死に撮影したクワガタ。

そして僕は下りることに決めた。体力的にはまだまだ登れるが、今夜と明日の水がないというのが決め手になった。

笠新道の下りは登りよりさらに厳しかった。かつて無い重量を支えている太ももが驚いてビキビキと鳴いていた。そして僕の心は折れ、体も折れた。しかし下って正解だとも思っていた。こんなんじゃこの先やっていられない。

ヨレヨレになりながら笠新道の入り口まで戻ってくると、そこで長い長い一服をした。いや、一服というより平静を装いながらノビていた。わさび平までは10分ばかりだというのに、立ち上がることすらできなかった。

笠新道からは縦走を終えたばあさん達が下りてきて歓喜し、記念撮影をしていた。僕はその光景から目をそむけていたが、耳に入ってくる甲高い声は僕を悲しい気持ちにさせた。

笠新道の登山口とザック
重たいザックを眺め悲しみに暮れた。

途方にくれたわさび平

わさび平小屋までの道のりはひどく憂鬱なものだった。家が火事で燃えた、と報告を受けたあとの様なテンションだった。二度と登山ができないんじゃないだろうか、トラウマになりそうだ、と思った。

そんな感じだったけれど、わさび平小屋の女性スタッフは僕を暖かく迎えてくれ救われた。思わず、どんなに笠新道が辛かったか、悲しかったか、今僕がどんなんに惨めかと語り慰めてもらいたくなったが、カツ丼づくりが忙しそうだったのでそれはやめておいた。

また、わさび平小屋のテント場も、こじんまりとしていたが開放的で穏やかな空気が流れていた。 打ちのめされた僕を優しく迎え入れてくれた。

わさび平小屋のフルーツと野菜
わさび平小屋では野菜とフルーツを売っていてときめいた。
またここでは笠新道を下りていた夫婦に再会。旦那さんは「懸命、懸命」と慰めてくれた。
わさび平小屋のテント場
わさび平小屋のテント場。早い時間なので僕が一番のり。

大きなブナの木の下にテントを張ると、外にマットを敷いて寝転んだ。
何もしたくない。

空を眺めて雲の動きを追ったり、歌を口付さんだり、ハトに話しかけたりした。
山のハトはスマートでかわいい。都会のハトの様に、人が食べているフライドポテトにたかってくる様な浅ましい感じがしないのが、いい。

別に良いんだ。もともとは今日、わさび平小屋に泊まる予定だったんだから、ゆっくりとここで過ごしまた明日に登ればいいんだ。でも、そう思おうとしても、惨めで情けない思いがなくなることはなかった。
僕は現実を知ってしまったんだ。この荷物の重さで、これからの登山がどうなるかってことは考えなくてもわかった。

日が暮れる前に、背を曲げながらラーメンをすすった。それからテントの中で日記をつけた。

ふと目をつむるとそのまま寝てしまい、次に目を覚ました時は翌朝の4時だった。11時間近く寝ていた事になるだろうか。一年に一回あるかないかの快眠で脳と体が冴えている。さて、もう一度挑戦するかどうか。